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津田大介「あいちトリエンナーレ」騒動を振り返る

開幕3日で公開を一時中断して議論を呼んだ、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」。芸術監督を務めた津田大介さんに、「あいちトリエンナーレ」の真相、Twitterをはじめとするメディア発信のあり方について思うこと、テレビの未来についてなどについて、笑下村塾のたかまつなながインタビューしました。

美術監督になることを望んではいなかった



ーー今回は「あいちトリエンナーレ」の件は気になっていたので、出てくださって嬉しいです!

僕は騒動のあと1カ月くらい、反省したり、整理するのに時間がかかったり、落ち込んでいたこともあり、あまり人と会いたくなかったです。でも客観的に状況が見えてきてからは、番組などに呼んでくれた人のところではきちんと話をしようというスタンスでやっています。

ーーそもそも津田さんはどうして芸術監督になられたんですか?

僕がなりたくてなったわけじゃなくて、愛知県のトリエンナーレ推進室の室長から「2019年の芸術監督に津田さんが選ばれました」というメールが2017年6月に来たんです。僕のいないところで有識者の人が次の監督を選ぶ会議があって、勝手に僕に決まり、事後報告でした。


美術とジャーナリズムの距離が遠い日本



ーーむこうの意図は何だったんですか?

監督選出会議が行われた時期の少し前から、これまでの世界の常識とは違うようなことが起きていたんです。2016年6月にイギリスがEUから離脱するかの国民投票が行われたり、11月にはまさかのトランプ大統領が誕生したりと、これから世界はどうなっちゃうんだろうと、誰もが思うような。 現代アートは現代社会で起きていることをモチーフにするものですから、そういう社会の大きな変化に対応できるような芸術祭をつくらないとだめなんじゃないか、芸術監督は社会とアートを繋げられるような存在が必要じゃないかということで、ジャーナリストが選ばれたということでした。




なぜ「表現の不自由展・その後」を企画したのか




ーー今回の騒動の経緯を、改めて津田さんからお聞かせいただけますか。


「あいちトリエンナーレ」は、愛知県で3年に1回やっている総合的な芸術のイベントです。 75日間の期間中に町のあちこちで、現代美術作品、演劇や音楽ライブ、映画も含めたいろいろな芸術のジャンルが楽しめるというもの。今回大炎上した「表現の不自由展・その後」は、全部で106企画あったうちの一つで、僕が企画したものです。

アーティストには、社会の人々の意識を変えるために美術作品を作っている人も多く、強い問いかけや投げかけをする。だから、全国で開かれている美術展では、美術館の許可がおりなくて展示できなかった作品、展示後にお客さんからクレームがきて撤去されてしまった作品というのが、日常的に出てくるんです。

そんな作品を、なぜ展示できなかったのかという経緯とともに見せる展覧会「表現の不自由展」が2015年に東京・江古田の民間ギャラリーで行われたのを見て、僕はすごく感動したんです。日本って、アートがちょっとでも政治的だと敬遠されてしまうところがありますが、日常にあるほとんどのモノ・コトが政治につながっているし、表現をしていれば当然その中に政治的なものが含まれてくるのも自然なこと。そういうものの一切が排除されている状況は窮屈だなと思ったんです。

「あいちトリエンナーレ」は社会的なテーマを強く取り入れた芸術祭ですから、ジャーナリストである僕が芸術監督をやるからには、問題提起としてこの企画をまるごと持ってきたいと思ったんです。「表現の不自由展・その後」は、企画段階から物議は醸すだろうなとは思っていました。なかでも、2つの作品が議論の的になりました。



外交問題の原因となった『平和の少女像』


ひとつは、外務省が言うところの”慰安婦像”、正式には『平和の少女像』(2011)です。

「平和の少女像」は、韓国で芸術を通じて政治や社会運動をしていく1980年代からの”民衆芸術”の流れで、作家であるキム夫妻(キム・ウンソン、キム・ソギョン)がつくった作品です。戦争の時に女性が性的に搾取されていたという問題を告発するための抗議の意志を込めて韓国・ソウルの日本大使館前に設置されていて、このこと自体はすごくいろいろな議論もあるし、僕自身も複雑な思いがあります。 このミニチュアが2012年に東京都美術館で展示されたのですが、4日目に撤去されるということがあったんです。「表現の不自由展・その後」では、このミニチュアと、像の彫刻の複製を展示しました。そもそも「平和の少女像」は、日本人にとって負の歴史を責めるような象徴的なものが日本大使館の前に設置されたことで外交問題に発展する原因のようなもの。それにもかかわらず展示したことが非常に物議を醸しました。

『遠近を抱えてPartII』で天皇を燃やし、踏みつけた理由




もうひとつは大浦信行の映像作品『遠近を抱えてPartII』です。 20分間の映像の中に、昭和天皇が燃やされている、足で踏みつけられるという内容が含まれていて、故人の尊厳を踏みにじるものだ、日本人へのヘイトじゃないかと批判されたんです。

この映像に出てくる版画作品「遠近を抱えて(4点組)」は、80年代に富山県立近代美術館の個展で大浦さんが自画像として昭和天皇や過去の名画などいろいろなものをコラージュして作成したもので、これ自体は評価が高かったんです。

大浦さんは若いころ、10年間ニューヨークで作家活動をしていたのですが、自分の日本人としてのアイデンティティは一体何なのかと悩んで、考え抜いた結果が、自分の心の中には天皇、天皇制があったということ。それを自画像として表現した、天皇への敬愛の念も感じられるものです。

ところが、展覧会の終了後に富山県の自民党の県議会議員が「不敬だ」と問題視したんです。作品に込められた意図をまったく解釈しようとすることなく。結果的に地元の新聞も問題にしてしまって、大騒ぎになったんです。富山県立近代美術館が購入して常設コレクションになっていたこの版画作品は売却され、展覧会を開いた時につくった400冊ほどの図録はすべて焼却処分されてしまいました。

つまり、一番最初に天皇の肖像画の作品を燃やしたのは富山県立近代美術館だし、そのきっかけをつくったのは、自民党の議員だった。

納得できない大浦さんは裁判を起こしましたが、負けてしまいました。作家として表現したかったことと別の意図で炎上してしまったことで大浦さんは深い傷を負い、美術作家としての活動を辞めてしまいました。そして、映画監督になりました。

今回、その版画作品を出展させてくださいと大浦さんにお願いをしたら、「昔の作品が芸術祭という最新の現代美術を見せるフォーマットの中で見られるのは嫌だ」とおっしゃったんです。「出展するからには、かつての作品をちゃんと補完するような映像をつくりたい」と。このことは主催側でも議論になりました。かつて展示拒否された作品を展示するという企画コンセプトから外れてしまいますから、最初は新作をお断りしたんです。大浦さんは怒り、難航しました。

ですが、「遠近を抱えて(4点組)」はいわば企画の中核を成す作品でもありましたから、展示は必要なことでした。最終的には、新作はかつての作品の理解を深めるものにもなりますし、何より作家本人が映像とあわせて一つの作品だと言う意志を尊重しようという判断を下しました。

ーーではなぜ、映像の中で天皇の写真を燃やし、踏みつけたのでしょうか。

重要なのは、昭和天皇の写真ではなくて、昭和天皇がコラージュされた自分の作品を燃やしたということ。富山県に図録を燃やされた経緯を含めて、燃やすということ自体が大浦さん自身のなかではとても宗教的な、昇華していくような行為です。大浦さんは今回の映像作品を、日本人としての自分の心の中に天皇がいたということを表現した自画像をバッシングされて受けた深い傷を昇華して乗り切って、表現者として次のステージに行こうという意思でつくりました。

それなのに、かつてと同じように意図の一部だけを切り取られ、自分の伝えたいことが伝えられないということが反芻されてしまった。



安全面のための中止が、“検閲”と謗られた


『平和の少女像』『遠近を抱えてPartII』、これら2作品それぞれの一部だけが切り取られてTwitterで拡散されて大炎上しました。事務局への脅迫や抗議の電話が鳴り止まなくなり、他の仕事ができなくなってしまった。さらにこの2週間前に京アニの事件が起きたこともあり、脅迫が現実のものとなったら責任の取りようがないと意識せざるを得ない状況にありました。

僕も県知事も安全面を危惧し、断腸の思いで中止をしたんです。僕らは政治的圧力に屈したわけではなかった。ところが、中止したことは僕や知事による“検閲”だとされました。アーティストからしてみたら、これは自分たちの表現する権利、表現の自由の抑圧だということで、怒った海外作家たちが中心となって、最終的には14作家が展示をボイコットしました。

それでも水面下で調整を進め、すべての作家が戻ってきた上で、会期終了1週間前の10月8日に再開することができた。

中止になったのは106企画のうちの1企画だったわけですが、「表現の不自由展・その後」ばかりが話題になり、注目が集まってしまったのが、僕自身にとっては残念な状況でした。


文化助成は“不当”に取り下げられた


ーー検閲かどうかというところは問題ですよね。これが原因で交付金が取り消されたということは、今後、芸術祭の主催側やアーティストたちが表現の自由をするにあたって、「また取り消されるの怖いからやめておこう」といった自粛に繋がりかねないんじゃないかなと。

こういう文化助成というものは、交付金を出す側、権力を持っている側が恣意的な判断をしないように、行政などの権力から独立した専門家たちが厳正に判断する仕組みになっています。「あいちトリエンナーレ」は交付が内定していたんです。ところが、それを文化庁の判断で勝手に覆して、不交付にされた。

少なくとも、審査をした人たちに事前に相談するなり、なぜ不交付にしたのか理由を示したりしなければいけない。誰がどのように決めたのかという議事録も一切ない。じゃあ誰がどのように? ということになっているんです。

ーー今回、「あいちトリエンナーレ」側の書類不備を指摘されているんですよね。

「あいちトリエンナーレ」と同じ助成金に出した団体が他に23団体あって、すべて通っている。「あいちトリエンナーレ」だけが落とされたんです。

書類の不備と言いますけど、そもそも多くのイベントが助成金の申請を出す開催日の半年前から1年前というのは、まだイベントの詳細が決まっていない段階。あくまで企画の大枠や実績、誰が関わるのかといったことで判断されているんですね。 万が一不備があったとしても、おそらくそれは「表現の不自由展・その後」のことについてでしょう。106分の1に対して、減額ならまだ納得できる部分はありますが、全額不交付というのはおかしい。その理由を文化庁は説明する義務があるのに、説明できない状況になっています。

ーー結局、問題がブラックボックスになっていますね。

何が重要なのかというと、審査の基準自体はあって、通ったあとに誰が決めたかはわからないけど文化庁にひっくり返されてしまうということ。現政府に批判的な作品は、文化助成の対象にはならないのではという強烈な萎縮が働きますよね。

“表現の自由”のラインはどこか



ーー政治的な強い意志があるものに対して税金を使われることへの抵抗を抱く人が多いんじゃないでしょうか。

税金を使った文化事業について、賛否両論があるものをやってはいけないという決まりはないんです。民間であればスポンサーの意向で方向性を決められますが、公金だからこそ、納税者の数だけいろんな意見があるものに対して、お上や特定の人物の意向が反映されるべきものではないと思います。それが、”表現の自由”を含む憲法21条の考え方でもありますよね。

ーー表現の自由だからといって、なんでもやっていいわけではないと思うんです。

児童ポルノ、わいせつとかですね。それはおっしゃる通りです。今回について言えば、それらのような違法なものは1個もなかった。ただ、見て不快に思ったという人がいるというだけ。あらゆる表現が、誰かにとっての不快になり得ます。どこでラインを引くか。そのわかりやすい基準が、法に触れるかどうかというところです。

何でもやってもいいと僕も思っているわけじゃないですし、もちろん、「表現の不自由展・その後」の作品すべてが個人的にいいと思っているわけではありません。でも、「表現の自由を守る」というのは、自分にとって不快な表現だったとしても、守らなければいけないという大原則がある。しかもアーティストがどうしてもこれがやりたいことであれば、それを尊重するのがディレクターの仕事だと思うんです。それを最優先した結果が、今回の騒動です。

ーーただ今回、中止になったという事実は、テロなどの脅迫に屈したと世間的には受け取られているのでは。

僕は、そういう風に言う人は無責任だと思います。

芸術祭って期間が長いんですよね。75日間、職員たちにとっては警備を強化し続けるのは地獄です。コストがかかりますし、行政ですから簡単に対応できるわけじゃない。それに、広い芸術祭会場のすべてに対して警備を強化するのは難しい。無理に続けたとして、けが人や死人が出たら、誰が責任を取ってくれるんですか。 もちろん、脅迫に屈したという批判は受けなければいけないと思っていますけれども、でも僕は現場を預かってた人間として、あれ以外の選択はできなかった。


最後に復活させることに強い思いがあった


ーー津田さんの立場だとそのお考えは分かります。ですが、世間からしてみると、電話などで言ったもん勝ちなんだと思われてしまいかねない恐怖を、私は感じました。

1会場で1日だけ開催のイベントならまだしも、75日間の芸術祭というフォーマットで警備を強化することの難しさは、僕も実際に直面してわかったこと。でも、だからといって “尖った企画をやるな”となってはいけないんです。 だからこそ、8月3日に記者会見をした時、表現の自由を後退させるような事例をつくってしまったということに対する反省の弁も述べましたけれども、同時に「このまま終われない、終わらせてはいけない」と強く思っていました。 あの時点では閉めるしかなかった。でも、期間が長いからこそ復活できるチャンスがある、それを目指して頑張っていくしかないと思いました。


「表現の不自由展」を”問題”にしたのは、社会の変化



ーー今後、世間にどういう意識を持ってほしいですか?

我々は「表現の自由を行使できている」と思いがちですが、そこの「表現の不自由展」という企画自体、10年前だったらまったく問題なくできたと思いますよ。

まず政権が違いました。民主党政権だったし。歴史修正主義的な勢力がネットを背景に力を持っているというような状況は10年前はなかったですし。

ーー10年前も電話をしたり脅迫したりする人は、数が少なくてもいたとは思うんですよ。

悪い意味でもいい意味でも、Twitterの社会的な影響力が強まったという状況がまずある。10年前はTwitter利用者は500万人いないぐらい、今は4500万人ぐらいまで増えています。こんな反日的な展示をやっている、問題視しないんですかとTwitterで言われて、政治家が記者会見とかで問題にして、それをマスメディアが報じるというような状況、10年前だったらありえないですよね。

たとえクレームや講義が来て、脅迫が来ても、耐えられるレベルだったでしょう。僕は多分続行という判断をしていたと思います。なんなら5年前でもできたと思います。

5年間でこんなにも我々日本社会が変わっているというのに、そこに言及せずにやり方が悪かったとしか批判をする人は信用ができない。

ーー津田さんは最後まで芸術監督を辞めずに、戦ってらっしゃいましたもんね。

もちろん、いろんな人に対して申し訳ないことをしたと思っていますし、反省点を挙げていけばきりがないです。職員を巻き込んでしまったこと、作家に対しても、本来の75日間で作品を見せられなかった上に、再開後も抽選という形で限定的にしか見せられなかったこと、そこに対して十分な説明ができなかったこと。知事に対しては安全、安心で楽しいお祭りにすることができなかったこと……。「表現の不自由展」以外の参加作家も、もっと落ち着いた環境で作品を見てもらいたかったでしょう。

関係者ひとりひとりに対してもちろん謝りたいことはたくさんありますが、だからこそ、非常に高いハードルだけれども、再開をすることは非常に重要なことだったんです。


編集後記

アートへの門戸を広げたことは、芸術祭の功績です。しかし、それは同時に、訪れる人々が必ずしもアートに対する理解度が高い人ばかりではないということも意味します。

作家が伝えたいメッセージを正しく受け取ることができない人が多数出てくるということ、さらには彼らがTwitterなどのSNSで発信する情報だけが一人歩きをし、芸術祭に足を運ばない人々がそれらを享受するならば、間違った情報、あるいは作家にとって本意ではない意図が”正”として大衆の意見として定着してしまう捻れが生じてしまうことにつながります。そのことは忘れずにいなければならないと感じました。

vol.2では、津田さんの身に降りかかったTwitterの功罪をテーマに話をお聞きします。



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