統一地方選、参議院選挙と2019年は選挙イヤー。
「私の一票なんて意味があるの?」ーー年間2万人に出張授業を届ける笑下村塾では、こんな声が寄せられる。政治家って、そもそも何をしているのか。政治家に私たちの想いを託すことなどできるのだろうか。
一度は政治家を志した乙武洋匡さんに、「政治家が何をできるのか」笑下村塾の創業者のたかまつななと代表相川美菜子が、インタビュー。“あの騒動”で吹き飛ばされてしまった、乙武さんの政治への思い、現在の心境についてお聞きしました。
20代、政治家にならず世の中を変えたかった
――ずっと前から、政治家を虎視眈々と狙っていたんですか?
いや、本当はなりたくなかったです。ずっと避け続けてきました。
――え、政治家になりたくなかったんですか?
そりゃそうですよ。あんなに割に合わない仕事はないです。常に監視されるし、自分の時間はまったくないでしょう。できたら、「政治家」にならずに世の中を変えたかったのが本音です。
――では、どうして政治家になろうと思われたんですか?
僕が『五体不満足』という本を出したのが1998年、22歳の時でした。きっかけは、当時「障害者=不幸でかわいそうな弱者」というイメージで語られることが多かったけど、僕は自分が幸せだと思っていたし、「こんな人間もいるよ」と伝えたかったんです。
その後、主にメディアで活動し、行動範囲や人間関係がどんどん広がっていく中で、トランスジェンダーの友人もできるなど、「マイノリティと呼ばれる人たちって別に障害者だけじゃないし、こうしたマイノリティの人たちにも平等にチャンスがある社会がいいに決まっている。それを実現したい」という思いが僕の中で、“軸”になりました。
そして30代後半になったら、「残りの人生を考えると折り返し地点近づいてきたけど、目指した社会ってまだまだ遠いじゃん」って思ったわけです。
そこで、本当は絶対、やりたくなかった、避け続けてきた「政治家になる」という選択肢が現実味を帯びてきたんですよね。
――じゃあ、政治家になろうとしたのは、ひとつのメディアでの敗北宣言だったわけですか?
うーん、メディアの限界というより、僕の力不足だったのかもしれません。ただ、「法律を作る・変える」と「税金の配分を決める」、この分野だけは、民間では実現できないんですよ。正直。そこは、政治の範囲だなと。
僕は、世の中を変えるのは二本柱だと思っていて、ひとつは「制度」。もうひとつは「意識」なんですね。これまでメディアの仕事を通して、「意識」の部分はある程度、障害者に対する固定観念を打破できたかなと自負していましたが、人生の後半戦は、「政治家」として、改革に取り組んでいきたいと思ったわけです。
「障害者は、死なせないためにお金を与え続ければいい?」
――すごい影響力を持つ乙武さんでも「意識」で変えることに限界を感じられたんですね。
正直、私は障害というものが身近じゃないから、制度のどこが問題なのか分からないんです。具体的には、障害者制度について、どんな点が問題だと考えていますか?
日本の障害者の福祉施設は、不幸な事件が起きた相模原のやまゆり園のように、地域社会から切り離された状態で設置されることが多く、健常者や地域から見えにくい存在となってしまいました。その理由って分かります?
――いや、ちょっと分からないです。
これが大きな不幸なんです。歴史的なことから説明すると、1970年代、日本が福祉に力を入れようとしたときに参考にしたのが欧州諸国でした。実はその頃の欧州諸国では、障害者を隔離する政策をとっていた、最後の時期だったんです。その後、欧州諸国は「地域の中で共存していく」施策に方向転換していくわけですが、不幸にも、日本は、福祉先進国であった欧州諸国が、その直後にやめることになる方針を導入してしまったんです。だから、障害者を隔離する考えが残ったんです。
――なるほど。では本来は、障害者支援の制度はどうあるべきなのでしょうか?
長らく日本では、障害者の人たちにも幸せに生きていく選択肢を与えるために機能するはずの福祉が、生活に困らなければいい、死なないためのサポートに注力されてしまいました。「社会の中で障害者がどういう存在なのか」という概念そのものが大事です。
――それって、制度が変われば、世の中って変わるものなんでしょうか。
確かに簡単じゃないですよ。
でも、僕が『五体不満足』を出した21年前は、エレベーターのない駅はたくさんありましたし、僕は5人がかりで車イスを駅員さんに持ち上げてもらっていました。でも、現在は、ほとんどの駅がバリアフリー、都バスもスローブが設置されるようになりました。こうしたバリアフリー化に助成金を出すのが制度、政治の分野。一方、街に出ている障害者のために、「バリアフリーにすべきだよね」というのが意識の分野。その二本柱が必要なんです。
おかげで、昔に比べると、街に出る障害者の人は圧倒的に増えたと思いますし、来年には東京パラリンピックもある。意識はさらに変化するのではないでしょうか。
――日本って、バリアフリーが進んでいるんじゃないのですか?
ヨーロッパでは運転席のボタン一つでバスのスローブが出てきますが、日本だと、運転手さんがバスをいったん降りて、格納庫にしまってあるスロープを設置して、車椅子を停めるスペースを確保するために座っている人に移動してもらって、座席を上にはねあげてと、本当に大変なんです。平成も終わるというのに、ですよ。これじゃ、気軽に車イスでバスに乗れませんよ。
――たしかに、私なら乗れないですね…。本当にすみませんって、障害者の人が他のお客さんに謝っているのが目に浮かびます。
だったら、ボタン1つでスローブが降りてくるバスを買うのに税金投入しようと。それなら、車椅子ユーザーも待たされる乗客も運転手もみんなハッピーですよね。これが政治の出番だと思うんです。
でも、国会議員の中で、公開されている限り障害者は1人もいないはず。だったら1人ぐらいいてもいいじゃないかなと思ったわけなんです。
乙武さん、今度の選挙、出馬しますか?
――なんで、首長じゃなく、国政だったのですか?区長とかになって、新しい改革をする方がやりたいことが出来そうな気もしますが。
たしかに先行事例を作って、横に展開する方法もあったかもしれません。でも、なんの政治経験もないなかでいきなり首長になっても、なかなか改革はできないと思ったんです。役人や議会との付き合い方、お金の回し方など含め、しっかり経験を積むことがまずは大事なのかなと考えていました。
――そんな熱い思いがあったんですね。誤解していました。オファーがあったら出ようかなと思われたのかなと。こういうこと、お話する機会ってありましたか?
まあ、あのスキャンダル報道で、全部飛んでしまいましたから…。(笑)
――そうでした(笑)。でも、政治家が政治を変えるって大変じゃないですか? あんなに国家議員がいても、正直力を持っているのは10人程度というか。あとは、組織の一員でしかないというか…。
その10人って、ほとんど親が政治家の二世、三世じゃないですか。でもその中の10人に僕みたいなヤツがいたらおもしろくないですか。っていうか、組織の中で力を持たないと意味がないでしょう。単に政治家になるだけなら、意味はないんですよね。
――ただの1議員ではなく、その10人になる覚悟があったのですね。
何十年もかかる話でしょうが、その可能性がゼロではないと思ったから、出ようと思いました。
――じゃあ、今度の参議院選挙、出ないんですか? 出たらいいじゃないですか。
無理でしょ(即答)。世間の風は厳しいよ、本当に(笑)。
現実問題として、政治組織の中で、自分の政策を実現できるようになるには、何期重ねるかが重要になってくるわけです。年功序列みたいなことがありますから。以前の僕なら、確実にそうした道を歩んで、組織の中で発言力を上げていく、そうしたビジョンがあったわけですけど、今は、身から出た錆で、それは白紙になってしまったわけです。
――そんなに覚悟があられるなら、もう一度チャレンジしていただきたいですけどね。不倫騒動で話題になった山尾さんも無所属で出馬して、当選されましたし。
ネットでは未だに、不倫の人!って言われるからね。今までは『五体不満足』の人だったのに。だから、今は、違う方法論を取らざるを得ない。あの報道で何もかもなくなって、自分の生活を成り立たせる基盤づくりに必死でした。今はようやく再びスタートラインに立てた感じでしょうか。
自分にとって、幸か不幸か、「マイノリティも幸せの選択肢が多い社会を実現したい」という思いを、僕は、やっぱり捨てられなかったんです。何度も捨てようと思ったんですよ。捨てられたら、どんなに楽かと思っても、スライムのように僕にひっついてくるんですよね、僕の人生に。
「誰かメディアの障害者のポジションを奪ってよ」乙武さんの、本音
――今後はまた別の立場から、社会を変えていくことはチャレンジし続けるということですね。
要はマイノリティのなかでの役割分担。「こういう社会にしたい」というチームがあって、政治で、メディアで、NPOで、それぞれの立場で取り組んでいくのが理想的です。だから僕が政治家にシフトして、メディアの席は誰かに譲りたかったんですよ。正直、今だってそう思っています。 “乙武さん”以外にうってつけの人がいたら、どんどん僕を押しのけていってほしい。だから、僕がメディア露出していない時期はチャンスだったはずなんです。
でも、相模原障害者殺傷事件、リオパラリンピック、24時間テレビは感動ポルノと言われる話など、障害者に関する話題は、全部、僕のところに取材依頼がきたんですよ。
「いや、今自粛中なんだから、メディアの皆さん、もっと他の人探してよ」と思ってました。僕以外にだって、想いや課題意識を語れる障害者はいっぱいいるんだから。
――それはメディアの怠慢ですね。では、だれかオススメな方いますか?
上原大祐さん。彼は、アイススレッジホッケーで、2010年のバングーバーパラリンピックで銀メダルを取ったんですけど、自分の言葉をきちんと持っているし、発想も面白いですよ。
他にも、車いすバスケットボールやウィルチェアーラグビーなども、めちゃくちゃ面白いコンテンツスポーツなので、メディアもこうしたスポーツに注目して、もっと育ててくれればと思います。
文:長谷井涼子 写真:相馬ミナ
ー取材を終えてー
●「政治家攻撃に違和感」
強い意思や実力を持った人でも、何か別の部分で出てしまった杭はあっという間に打たれてしまう。”いじめをなくそう、多様性を認めよう”と言っている大人たち、実際にそれができている人は一体何人いるのでしょうか。不倫を認めるわけじゃないですが、政治家だから、障害者だから、という理由であのときの社会からの攻撃は明らかに大きくなりすぎていたと私は思います。
今年の選挙では、乙武さんのようにマイノリティの意見でも平等に政治の世界に届ける意思のあるかたにも当選してもらいたい。
もちろん、マイノリティの声を拾うことだけが政治において重要なわけではないですが、ぜひみなさんにも乙武さんのように社会を良くするための強い意思のある人が私たちの代表として政治家となれるように、自分で誰に投票すべきかを判断したうえで、選挙に行ってもらいたいと思います。
笑下村塾 代表取締役 相川美菜子
●「乙武さんの強すぎる覚悟に衝撃とショック」
私は乙武さんのおっしゃる「意識」で社会を変えようと思っています。笑下村塾では、「笑いで世直し」をコンセプトに、お笑いで身近に伝え、問題の本質を感じてもらう教材を作り、全国の学校にお笑い芸人が出張授業をしています。「制度」だって、最終的には政治家が変えますが、ジャーナリズムで訴えれば、そして一人一人の意識や関心を変えれば変わると信じて活動していました。ですが、それをあの乙武さんでもできなかった。敗北宣言をし、心機一転政治の世界へと転身を決めた。私はまだ、信じている。だけど、これはなかなか険しい道であることを再度認識し、ショックを受けました。
そして、こんな覚悟がないと政治の道へ踏み入れられない社会はどうなのだろうといつも思ってしまいます。政治家になることが若者の憧れに、そして気軽に踏み入れられる社会になればいいな、どうすればそうなるのか考えさせられました。
笑下村塾 創業者 たかまつなな
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