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  • 執筆者の写真笑下村塾

「ジャイアント素子」といじめられ…大林素子さん逆境の乗り越え方

「ジャイアント素子」「お化け巨人」「デカ林」…。元バレーボール女子日本代表でスポーツキャスターの大林素子さんは、心ないあだ名を付けられた幼少時代を忘れたことがありません。言葉の暴力は際限がなく、一時は自死しようと思うほどまで悩まされたと言います。いじめていた人たちを見返したい。その一心で打ち込んだバレーボールで3度のオリンピック(88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタ)出場。大きいというコンプレックスは世界と渡り合う上で欠かせない武器になりました。そんな経験からいじめを乗り越えた先の未来は明るいと胸を張ります。被害に遭っている方へのメッセージなど、笑下村塾たかまつななが大林さんからYouTube「たかまつななチャンネル」でお話を伺いました。




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親や先生の言葉からは救われなかった

大林:幼稚園に通う前だったかと思うんですけど、当時から体が大きくて同級生たちがすぐにあだ名を付けるんです。大きいことに付随するあだ名を付けられて、男の子たちに邪魔だなみたいに扱われました。

――周りはいじっているような感じなんですか?


大林:いじめとの線引きは、本当に難しいと思うんです。悪意がなくても、言われた側が嫌だったら、それはいじめ。私が受けてきたことはずっと言葉の暴力だと思っていました。一日中言われるし、挙げ句の果てには大人にも言われました。日本は今もそうなんですけど、女は小さいとか、男のほうが大きいとかあるじゃないですか。大きい女に対する偏見とか差別がすごくて、老若男女問わず「うわーでけえー」と聞こえるように言われました。

――酷いですね。誰か止める人はいなかったんですか?


大林:親や先生の言葉からは残念ながら救われませんでした。体が大きいことは子どものころは良しとされるような雰囲気があり、先生はもちろん良かれと思い言ってくださるのですが、「背高くていいんだから、堂々と胸張ってろ」というのに落ち着くんです。スポーツやればとか、モデルになればみたいな提案されるんですけれど、私には響かなかった。体型的にもスラッとしていたので小学校高学年になってくると「モデルさんみたい」とか言われるんですけど、褒め言葉とは1ミリも思ったことがないです。大きいのを褒めるのには、そういうところしかないのかなと思いました。

――言われるのが嫌だとか、相談はしたことはありますか?


大林:親に言っても「健康で大きいことは良いことだ」で結局終わっちゃいます。本当にいじめられて辛いというのは、親はやっぱり分かってなかったかな。なんでこんなに大きくなっちゃったのよみたいな葛藤がありました。私の場合は遺伝なんです。父が177センチ、母は164センチぐらい、大正生まれのおじいちゃんが182センチあったんです。苦労なくどんどん大きくなってしまいました。



「夢もかなわない」人格全否定

――言われることで自分の内面も変わりましたか?


大林:卑屈になるというか、自信がなくなりました。普通じゃない人間なんだっていうのは最初から持っていましたから。

――意外です。今の大林さんは笑顔が多くて、すごくお話ししやすい感じです。小さいころはそうじゃなかったんですか?


大林:なるべく目立たないようにしていました。今も若干出ちゃうんですけど、猫背になるんです。姿勢を悪くすれば、少し小さくなれるんですよ。自分の中にある女の子でありたかったというのを引きずっているんです。ドレスを着たお嬢様とか、アイドルになりたいという子供でした。だから、小学校低学年までは「私はだめなんだ、夢も叶わないし、いじめられるし…」と人格含めて全否定でした。

――どういう辛さがありましたか?


大林:男子から化け物扱いされました。例えばちょっとかっこいいなっていう人に対しての気持ちすら、向こうは「お前人間じゃない、こんなでかいのはありえない」みたいに最初からなる。授業中に立って何か発言をした後、着席すると後ろの男子が「大林さん座ってください」「見えねえよ」とお笑いみたいな感じになるんですよ。小学校は団地の中にあって、その団地の子たちが通う学校に行ってました。1年から6年までずっとクラスが一緒だったので力を持ってる子が何か言うと従わなくちゃいけない雰囲気があり、誰も分かってくれないと悶々としていました。


「なんで私がこの人たちのために」

――1番辛かったのはいつですか?


大林:小学3年生とか4年生ぐらいまでが一番辛かった時でした。宝塚とか見て育ったのでいつか娘役をやりたかったんですが、周りからは「娘役は小さくないとできない。大林はでかいから無理だよ」「宝塚の男役でいいじゃん」みたいに言われました。密かに思っている夢ですら人に壊されると絶望的な気分になり、誰にも会いたくないと本当は学校にも行きたくなかったんです。


親もいろいろ心配するだろうからなんとか行ってましたが、ある日「やっぱりもう死んだほうが楽じゃん」みたいなワードがポッと出てきました。5階の自宅ベランダから外を見たら結構低くて、ここから飛び降りても着地できちゃうんじゃないかと思い、最上階の11階まで行ったんです。痛いかもしれないけど、もう二度と「デカ林」「ウドの大木」と言われないで済む。靴を2回脱ぎましたが、飛び降りるところまではいかなかった。


このまま死んでしまったら、私の悔しい思いは伝わらない。部屋に戻って私がどういじめられていたかを紙に書きました。ある意味で遺書みたいなものです。文句を書いていると、、あえて汚い言葉で言いますが、「なんで私がこいつらのために死ななきゃいけないんだ」と正常なモードに戻って、死を選ぶことはなかった。

――辛いときの心の支えはなんだったんですか?


大林:ただひたすら、いつか私は歌いたいとか、いつか私はキラキラしたい。夢が生きる支えになっていました。

――好きなものを見ている間は忘れられたんですか?


大林:その通りです。最初は桜田淳子さんに憧れ、松田聖子さんとか好きになりました。宝塚のマリー・アントワネット役やるんだとか夢見ていた時が唯一、全てを忘れられる幸せな時間だったかもしれないです。


「五輪に出たら見返せるのでは」

――どうやっていじめを乗り越えることができたんですか?


大林:バレーボールとの出会いがきっかけですが、私がバレーボールを始めたのは、キラキラとは程遠く、腹黒いところです。テレビアニメの『アタックNo.1』を観ていたら、オリンピックに向けて挑む鮎原こずえちゃんという主人公の姿が自分の理想と重なったんです。最初は彼女もいじめられていたんです。でも最終的にはいじめていた人たちもみんな仲間になって彼女とともに戦うというようなストーリーがあって、もしオリンピックに出たら、私をいじめていた人たち見返せるんじゃないかと思ったんです。言葉は悪いけど復讐です。

――それで実際オリンピック3回出場したのはすごいです。


大林:途中しんどかったこともありましたけど、いじめられていた時代よりよっぽどマシでした。結構あの時(いじめられていた頃)に比べればと思って生きてきているんですよ。オリンピックのために朝練、午前、午後、夜練と4部行われ、1日8〜10時間しましたが、そっちのほうが全然楽です。

コンプレックスを力に変えられた

――オリンピックに出たことで結局見返せました?


大林:見返せました。大会前に私をいじめていた人たちが所属チームの練習を見に来て、サインが欲しいと言ったんです。その瞬間勝ったなと思いながら、心の傷が深いので簡単にサインするわけにはいかなかった。許せなくて一回断ったんです。でも、彼らが再度来たときに、「私、本当にいじめられて嫌だった」と伝えたんです。

――どんな反応をしていましたか


大林:彼らの言い分は「俺ら言ってねえよ」「全然そんなつもりじゃない」。私は傷ついてきたけど、和解の意味合いも込めてサインしました。その後は応援してもらっています。最近は同級生にもなかなか会うことないんですけど、ご飯をおごってもらったこともあります。

――向こうはいじめている感覚はなかったんですね


大林:あるいは覚えていても、言えないのか...。聞くのも若干気まずくて、そこは問い詰めなかったです。

――和解してよかったですね


大林:言われたことによって最悪な気分になって死にたいと思ったけど、そのおかげでバレーボールに出会い、オリンピックにも行けた。コンプレックスを自分の頑張るエネルギーに変えられたとは思っています。

――今も相手を恨んでいますか?


大林:恨んでないです。今では自分が大林素子ですと自信を持って言えるようになりました。バレーボールやってなかったらと考えると怖いです。バレーボール選手という肩書きがあることによって、私の中では少し緩和されているように思います。

大きい自分は変えられないから

――恨む気持ちがなくなったのはなぜですか?


大林:冷静になって考えたとき、大きい自分は変えられないと思ったんです。私が何者になっても一生大きいんだろうなっていう考えにたどり着きました。今思うと、いじめていた人たちのことも、最終的には自分自身に対しても恨んでしまうことになるところでした。

――当時の自分にもし会えるんだったら言ってあげたいこととかありますか?


大林:「大きいのは一生そのままだから」と言いたいです。元々は大きいというコンプレックスからのいじめだった。でも、それを受け入れた瞬間、私の中のいじめのニュアンスは変わってきました。

――それはどういうことですか?


大林:コンプレックスが、自分の武器になったんです。大きいからバレーボール選手になれたと考え方を変えられた時、いじめを跳ね返せました。

ー見方が変わったということですか?

大林:自分が変わりました。同じことを言われても、痛くなくなってきました。慣れっていうのももちろんありますし、大人になったというのもあるんですけど。ただ、自分から進んで話すことではないというのが本音です。

――コンプレックスを受け入れるためのコツはありますか?


大林:それを売りにできたら、最強です。私は、当初、体が大きいということ自体が受け入れられなかったけど、大きさを武器にすることによって報われた。そういうパターンもあるかなって思います。



悔しさにはありえないパワーが

――今の夢はなんですか?


大林:本当の夢はお芝居がしたいんです。ミュージカルとか、それこそ大河とかに出るのが元々の夢です。大好きな故蜷川幸雄監督作品に3作出演させていただいたこともありました。私の場合はセカンドキャリアが本来の夢なので、逆に言うと今が新人なんです。

――ぜひ教えていただきたいんですけれど、「いじめ」と「いじり」の線引きが難しいというお話をされていましたが、その違いはなんだとおもいますか?お笑いも好きな大林さんが見た目で笑いを取る人のことを笑えたりするのか気になります。


大林:いじめといじりは、どう線引きするかは難しく永遠のテーマでもあります。テレビとかで芸人さんとお仕事すると、体の大きさがあるからいじってもらえる。むしろ、ありがたいです。今は受け入れて自虐ネタにもしていますが、子供のころ言われるといじめと思うんですね。言う人に悪意があるか、ないか。言われた本人が嫌がってるのか、嫌がってないか。その二つが関わるのかな。

――親に伝えたいことはありますか?


大林:子どもたちの可能性を探してあげてほしいです。何かできるのか、特技はなんなのか。視野を広げられるよう違う環境を見せたり与えたりしてあげることは、ぜひしてほしいです。

――最後によろしければ、今いじめに悩んでいる子供たちにメッセージをいただきたいです。


大林:いじめられている人は、ありえないほどのパワーとエネルギー持ってるんです。悔しくて、悔しくて、悔しくて。何くそざまみろ、見てみろとか。マイナスの言葉だけど、その気持ちを発揮すればプラスになる。私の気持ちは分からないって言われるかもしれないけれど、必ず突破できる場所はある。その悔しい思いを何かにぶつければ、未来は絶対待ってる。



笑下村塾#元いじめられっ子から今いじめられている君へ 「子どもの自殺」を止めたい。カツアゲ、暴力、殺害予告―。著名人が、壮絶いじめ体験をYouTubeで赤裸々に語ります。 プロジェクト特設サイト↓ https://www.shoukasonjuku.com/ijime <今苦しんでいる人へ> まず相談してみよう。 いじめへの対処法は、人それぞれです。 上記のタレントさんと同じ向き合い方が正しいとは限りません。

まずは自分の状況を、だれかに相談してみることが大事。 親や信頼できる先生や大人に報告してみよう。 子どもの相談窓口もあるよ。

<主な子どもの相談窓口> ●よりそいチャット(LINE・チャット) 生きるのがつらい人の相談窓口。 https://yorisoi-chat.jp/

●チャイルドライン(電話・チャット) 18歳までの子ども専用の悩み相談窓口。 https://childline.or.jp/index.html ☎︎0120-99-7777

●24時間子供SOSダイヤル(電話) 子どもや、いじめなど子どもに関する悩みを持つ保護者等が相談できる窓口。24時間365日相談できる ☎︎0120-0-78310

●BONDプロジェクト(LINE・電話・メール) 10代20代の生きづらさを抱える女の子のための相談窓口。 https://bondproject.jp/ ☎︎070-6648-8318

●自殺総合対策推進センター 都道府県・政令指定都市別の、いのち支える相談窓口一覧 https://jssc.ncnp.go.jp/soudan.php

その他​、厚生労働省HPも参考にしてみてください。 ※親から虐待をうけている場合は、周囲の大人に相談したり、児童相談所全国共通ダイヤル(189)に電話しよう。



※この記事はwithnewsからの転載です

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