• 笑下村塾

「障害者と健常者の違い」をどう考える? 乙武洋匡に聞いた、障害者の政策課題、教育、性事情




1回目では「社会におけるテクノロジーの必要性」を語った乙武洋匡さん。2回目となる今回は、「障害者の政策課題」をテーマに話を聞きました。



日本は障害者が”働くと損をする”




ーーかつて国会議員になろうと決意されたということは、既存の法律で変えたい点があったからだと思うのですが、どのように思われていたのでしょうか。


法律の面で正していきたいと思っているのは、条件、前提をフラットにしていくこと。分かりやすい例でいうと、同性婚ですね。たまたま異性愛者に生まれた人にだけ結婚というメニューが与えられているけれども、たまたま同性愛者として生まれた方には用意されていない。これは不公平です。

また、今回「れいわ新選組」から2名の重度障害者の方が国会議員に当選されたことで、介護を受けていた方々が働きだすと、労働時間の介助の分は公費が受けられなくなるということが周知の事実となりました。何をしている時間かによって公費負担が受けられるかどうかが変わるという今の仕組みは、変えていきたいと思います。

おそらく自分で働いて得られる給料よりも、その時間帯に付いてもらっている介護を自腹で払うほうが高くなってしまう。働かないほうが得をするわけです。


--生活保護でも言われていることですね。


そうなると、せっかく働ける能力があっても、働こうとする気持ちがなくなってしまいますよね。これは社会にとっても大きな損失です。どんな境遇の人でも働ける環境を徹底的にサポートした上で、能力差によって賃金が変わってくる社会のほうが望ましい。

家にいても働いていても、介助が必要なことには変わりはありません。


--持続可能な社会を考えた時に、働き手を増やしたり、納税者を増やした方が絶対いいのに、お金の使い道がおかしいですよね。


あとは、現代の働き方にそぐわないんですよ。インターネットが普及して、リモートワーク、テレワークなどが行われるようになってきた今、勤務時間とプライベート時間の分け方が難しくなっています。例えば、家で赤ちゃんをあやしながら仕事をしているライターさんや自営業の方などはどうか。もし、彼らが介護を必要とする方々だったら、公費負担を受けられるのかどうかなんて判断できないし、ナンセンスですよね。



障害者の性処理事情をどう捉える?



--乙武さんの不倫騒動が出た時に、社会学者の古市憲寿さんが障害者の方の性の問題についてお話しされたり、AbemaTVでも特集が組まれたりしました。障害者の子どもを持つお母さんが性処理の相手をしてあげたなどのエピソードも語られ、私はそういう考え方や事実があることに衝撃を受けました。国として補助を出しているところもあると聞きます。


当然、僕なんかもそうですが、自分で自慰行為ができない障害者の方は、どうしても溜まってしまうわけですよね。通常の男性なら自分で処理できますが、身体的な障害があったりするとそれができない。坂爪真吾さんが代表理事を務める一般社団法人ホワイトハンズというNPOでは、そうした男性のための自慰介助をしています。また、たかまつさんがおっしゃったように、オランダではそこに税金を投入して、本人の負担を減らしていこうとしています。でも日本でそれをやろうとすると、健常者からは、「自分たちは風俗店に自腹で行っているのに、なぜ障害者だけ無料で抜いてもらえるんだ」という声も出てくる。


--オランダでは、なぜ受け入れられているんですか?


前回お話しした、「何がフェアか」という概念が徹底されているということに立ち返るんですよね。つまり、自分でやろうと思えばできる人と、それがどうしても難しい人がいるのだから、そこに必要とされるケアが違ってくるのは当然だという発想がある。

賛否両論ありましたが、僕は、昨年の東大の入学式の上野千鶴子先生の祝辞がいいメッセージだなと思っているんです。彼女が一番伝えたかったのは、あなたたちが東大に入学できたのは、もちろん自分の頑張りもあるだろうけれども、頑張れば報われる環境があったからですよと。一方で世の中にはそうではない人もいる。まさに東京医大の不正なんかがそう。女性というだけで点数を勝手に減点されたり。


--フェアの精神は、どうやったら身につくんでしょうか。


累進課税を上げることは、ひとつの手かもしれません。もちろん税金が上がるとみなさん怒りますが。


--自分が恩恵を受けられないと損だと考える人も多いですし、法人税とかも抜け道をぬって税金を払わないほうがかっこいいみたいな文化もあると思うんですよね。制度だけだと変えられない気もします。


世界幸福度ランキングと、税率の高い国のランキングって、ほぼ重なってるんですよね。以前、デンマークの大使と対談して感じたことなんですけど、みんなが高い税金を払わなきゃいけないとなると、使い道をしっかりと監視をするようになる。そうすると政治家も税金の使いみちということにセンシティブになるし、シビアになる。すると有権者は税金を払った分だけ、またはそれ以上の恩恵を受けていると感じられて、それが幸福度につながるというんですね。

昨年、チュートリアル徳井さんの問題があったでしょう。多くの人の怒りの根源には、自分たちが苦労して税金を払っているのに、あいつはちょろまかして……というのがあるんだと思うんですよ。一方では、自分たちが払っている税金が何にどう使われているのかをチェックする人はあまりいない。


--おかしいですよね。ソフトバンク等が法人税0円とか、そっちの方に怒ったほうがよっぽどいいのにと思います。




障害者が国政に加わることで変わることはあるか




--「れいわ新選組」の方が2名、国会議員に当選されたことで、そこに期待することや、お二人じゃないとできないことはあると思いますか?


例えばたかまつさんが、僕と食事に行く約束をしたとして、店選びの条件として何を考えますか?


--エレベーターがあるところとかでしょうか。


健常者だけでご飯に行く時は考えますか?


--考えないですね。


そういうことだと思うんですよ。これまでの国会議員は、ほぼ全員健常者によって構成されていた。ところが重度の障害者がいる中で新しい法律を考えるとなると、「こういう人たちにとっては法律が機能するのか」とか考えるようになると思うんです。彼らの視界の中にいるだけで。僕は、それだけでも効果は大きいと思うんですよね。


--想像力では足りないというか。


そもそも想像してないですよ、健常者は。想像する必要がないから。僕は障害者だけど、普段目が見えない方の生活を想像しながら生きてるかと言えばそうじゃないし、男性が生理のある女性の大変さを想像しながら生活しているかと言えばしていないし、いい悪いは別にして、そういうものだと思うんです。それを責めるのは建設的ではないし、当事者がいるって大事だよね、という話でいいと思うんですよね。



子どもの頃から、障害者であることをどう挽回するかを

考えていた




--乙武さんはご著書『四肢奮迅』で、義足だけでなく義手も着けた時に「初めて自分の失ったものにたくさん気付いた」と書いていますよね。(生まれつき)手を持っていれば、あれもこれもできた、というふうに。でも、人と比べているわけではない。私なら、恨んでしまうと思うんです。”持っている”人と比べて、自分はあれもこれもできない、と。自分よりも恵まれている人を見て、どうしても考えてしまいます。


僕は合理主義者なんですよ。人と比べて自分の方が劣っている、相手のほうが優れているという点があったとしましょう。努力で変えられることなら努力すればいい話だし、努力したって変えられないことなら切り捨てるしかないですよね。


--小さい頃からそう考えられていたんですか?


例えばね、多くの男が考えることなんて、だいたい「モテたい」ということですよ。顔がブサイクだったとして、それをいくら嘆いても変わらない。だけど、代わりに勉強をできるようにするとか喋りを磨いたりして女の子を楽しませるといったことなら、努力のしようがあるじゃないですか。


--乙武さんは、モテたい気持ちはあったんですか?


めっちゃあった(笑)。


--乙武さんは何で挽回しようと思ったんですか?


トークかな。


--すごくしっくりきた。


ただでさえ障害があると、腫れ物を触るように扱われるわけですよ。だから、こちらから社交的に振舞って、相手の警戒心みたいなものをほぐしていかなければならない。まずは「接しやすいかな」から入って、さらに「他の人よりも楽しいじゃん」となり、そこから相談によく乗ったりして、だんだんアドバンテージを大きくしていく、とか。


--いつくらいから意識していたんですか?


小学校4、5年生くらいですかね。

小学校高学年なんて、顔がかっこいいやつとサッカーがうまいやつがモテるわけですよ。どうやっても顔面とサッカーはかなわないから、これは違うところで行くしかないなと。


--そこは健常者と変わらないんですね。合理的に考えればいいんですね、私も。


そうです。人間の習性なので、他人と比べてしまうのは仕方がない。比べた結果、どうするかです。


--アイドルや女優さんがお笑いをやっているとか許せないんですよ。


しかも狙いにいってないのに、天然で笑いを取れてしまう人とか?


--いくら嘆いたって、顔ではかなわない。


面白さで凌駕すればいいんですよ。




障害者教育は、健常者と同じ環境で行うべきか否か




--障害者の方と出会った時に、戸惑ってしまう自分がいるんですが、どうすればいいんでしょうか。


宇宙人と出会ったら戸惑うでしょ?


--戸惑います。


人間の本能だと思います。

例えばAIが犬の写真を見て、これは犬だと判断するためには、何千、何万という膨大な犬の画像を読み込ませる必要がある。「これは犬」「これは犬じゃない」という大量のデータを読み込ませたうえで、ようやく「これが犬だ」とか「これは犬じゃない」と判断できるようになるんです。これって多分、人間も一緒なんです。


--大量の経験則ってことですよね。


僕のような形をした人間が、多くのみなさんにはインプットされていない。だから、いきなりこの形が、特にお子さんの前に現れると、戸惑ってしまう。大人になると分別が出てきてリアクションには出さないけれど、内心は戸惑ってしまいますよね。そういう意味では、もっと慣れる場を増やすのがいいかもしれませんね。


--学校でも特別支援学級がありますが、教室は一緒のほうがいいんでしょうか。


学校や教育の目的によると思うんですね。

障害のある人もない人も、特性に色んな違いがある人の教育の場を一緒にするのは、コストがめちゃくちゃかかる。分けたほうがコストは安いですよ。でもそれは、教育という場面だけを切り取った上でのコスト。

ただ人生は教育だけで終わるわけでなく、そのあと社会に出ますよね。そこでの出口はひとつ。いくら教育の場を分けても、結局は同じ社会で暮らしていくわけです。そう考えると、僕は同じ場で教育を受けてきたほうが、トータルで見るとコストは下がると思うんですよね。

ただ個人差もあって、僕みたいな鼻持ちならないようなタイプの人間は、健常者の中に入ってもやっていけるし、多少のいじめがあったとしても、「ふざけんなよ、お前」と言い返せる。

例えば、小学生の時に近所の砂場で遊んでいたら、隣の小学校のひとつふたつ上の男の子たちに取り囲まれて、「やーい、この手足なし」って言われて。僕はそれに対して「なんだよ、この手足あり」と言い返したそうなんです。すごいシーンでしょ。それを見た母親は爆笑してたらしいですけど。


--お母さんもすごい。


でも、僕のような性格の子ばかりではないですから、健常者の中では萎縮して自分の力が発揮できないというお子さんだったら、分けたほうがいいのかなとも。これはケースバイケースですよね。




笑下村塾ガールズ.png
笑下アセット 2.png