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「漫才協会は面倒臭いけど残したい!」ナイツ塙宣之が漫才文化継承にかける想い

執筆者の写真: 笑下村塾笑下村塾



東京で活動する芸人らで構成される漫才協会の理事を務めるナイツ塙宣之さん。2018年に続き、2019年もM-1グランプリで審査員を務め、2019年8月に発売した初の著書『言い訳~関東芸人はなぜM-1で勝てないのか~』はお笑い関連書籍としては10万部超えの異例のヒットを飛ばし続けています。そんな塙さんに、漫才協会での活動や現状、自身が体験した“いじめ”の話、今のお笑いについて思うことなどを、笑下村塾のたかまつなながインタビューしました。




YouTubeでお話していただいた内容を元に記事にしました。動画は上記からご覧ください。



漫才協会では、芸人の”ありのまま”を最期まで見せたい






ーー本日のゲストはナイツの塙さんです!

塙さんには、以前、私の単独ライブにご出演いただいた時に漫才協会に入らせていただきたいと言って、本当に入らせていただいたんです。ありがとうございます。

漫才協会に入って、どんな感じ?


ーー老人ホームみたいで、びっくりしました。


お客さんが、じゃなくて、裏側がでしょ? 裏側はもう老人ホームですよ。


ーー今まで私が経験してきたお笑いライブって、先輩でも40代くらいの人しかいなかったんですけど、今は90代の方もいて。


ななちゃんが漫才協会に入ってきてから亡くなった方も何人かいましたね。


ーーそういうメールが届くのも不思議な感じですね。


それがありのままじゃないですか。芸人の最期の。漫才協会のいいところだと思う。 年をとると声が出なくなるんですよ。耳も聞こえなくなるから、自分の声の出し方もわからなくなる。お客さんから「声ちっちぇーよ」とか言われるし、その師匠を出さない方がいいんじゃないかという話も出たりするんですよ。 でも、違うんです。声がちっちゃくなっちゃったとか、そういうのも含めての芸。ありのままを見せられる場所が絶対に大事だから、出しましょう、と俺は言っているんです。


ーー私、感動しましたもん。1日ずっと袖で見させていただいたことがあったんですが、師匠が出るだけで笑いが起きるというか。


”師匠が出るだけ”で。究極でしょ、それ。内海桂子師匠のことでしょ? 桂子師匠は、言葉もいらないのよ。生き様だけで人の心を動かすことができる。


ーー本当にかっこいいです。


客にもネタに真剣に向き合ってほしい





ーー死ぬまで舞台に立ち続けることは素敵だと思うんですけど、漫才協会に入って、自分が50、60代で舞台に立つ姿を想像できないんですよね……。


上の人がいるからね。漫才協会の悪いところでもある。50、60代の人でも焦らなくなるんだよ。みんな30歳のときに焦るじゃん。もうすぐ30歳だから売れなきゃ、みたいに。でも、漫才協会では50、60代でも売れてないから、30歳でも売れていなくてもいいやって思っちゃうわけ。


ーーお客さんの層も、他のライブハウス等とは全然違いますよね。


年齢層高いんだよね。


ーー久しぶりに東洋館で舞台に立って、政治のネタをやったらウケが良かったんです。それで他のお笑いのライブでもやったら、急にウケなくなって。あれ?こんなに違ったっけ?って。


一番苦しい時期だね。東洋館に出てから急にライブに出ると、アキレス腱が切れるみたいな感じになるよね。


ーー塙さんはどうされていたんですか?


どうしようもないよ。俺も両方出ていたけど、だんだん慣らしていくしかない。いいネタができて、何年かしたら、なんとなく分かるようになってきたけどね。 あと、基本的にお客さんがネタを聞いてくれないからね。特に平日の東洋館では。マナーが悪いんですよ。


ーーそんなこと言っていいんですか?


言っていかないと変わらないから。 お客様は神様なんだけど、こっちだって真剣にやっている。この前も漫才をやっている時に、おばちゃんがずっと喋っているから、俺、言っちゃったんです。「うるさいです、静かにしてください」って。変な空気にはなったけど、お客さんの中にはナイツの漫才を見たくて全国から来ている人だっているわけでしょ。そのままにするのが一番良くない。出ている芸人がネタを聞いてもらえなかったら本末転倒じゃない。客がそうだったら、芸人も舞台に出たくなくなるよ。


正直、漫才協会に入るのは嫌だった





ーーそもそも何故、塙さんは漫才協会に入られたんですか?


このことは、いろいろなところで話しているので、今日は思い切って新しく違う嘘をつこうかなと思うんですけど。


ーー本当のことを話してください(笑)。


芸人になって、どこの事務所に入ろうか考えるじゃない。兄貴(はなわ)がケイダッシュだから、兄貴に聞いてみたら「ケイダッシュは役者が多く所属している事務所で、お前たちはそういう華がない。浅井企画かマセキ芸能社がいいんじゃないか」って言われたの。で、相方の土屋に話したら、「母がマセキ芸能社の演歌歌手だった」って。


ーーなかなか、そんなことないですよね。


嘘だろ、早く言えよと。土屋の母ちゃんに聞いたら、マセキの会長が、ぜひ一回うちに来なさいと言ってくださって、ネタを見せに行ったんですね。そうしたら出てきたのが会長本人ですよ。この前亡くなっちゃったんですけど、当時80歳くらいのおじいちゃんでした。嬉しかったんだよね、多分。自分が面倒を見ていた演歌歌手の息子が来たから。 会長が、ナイツをなんとか売れさせたいと、スイッチが入っちゃったのよ。他の芸人たちは”ポップ”なウッチャンナンチャンさんとかバカリズムさんとかと同じ班なんだけど、俺たちだけはなぜか内海桂子班に入っちゃったの。大空遊平・かほり、内海桂子、ナイツみたいな。 それだけならまだ良かったんだけど、漫才協会に入れて売り出すって、会長が言い出しちゃったの。昔の人にとって浅草は、今の若い子にとっての渋谷、つまり最先端。会長はずっとその感覚のまま。他のマネージャーは「時代が違いますよ、会長」と言ったけど、会長は「いや、ナイツだけは俺が浅草から絶対にスターにしてみせる」って。 俺たちはめちゃくちゃ嫌だったの。俺たちは”ポップ路線”で行きたかった。今から17年前、23、24歳の時ですね。


ーー目指したい方向性と真逆。受け入れられないかもしれないですね。


受け入れられないよ。漫才協会は今は誰でも入れるけど、昔は誰かの弟子にならないと入れなかったから、それが一番嫌だったの。


ーーお笑いの養成所もある時代に……。


桂子師匠の弟子になることにして、挨拶に行ったんですね。そうしたら「よくわからないけど頑張ってね」って。 桂子師匠は当時80歳ぐらいのおばあちゃん。もう育てようという気もあまりないのよ。とりあえず、兄弟子に当たる漫才コンビの笑組(落語協会、漫才協会)さんに面倒を見てもらうことになって。 そのあとは厳しかったです。修行期間みたいなものがあって、笑組のゆたかさんの家に行って、着物のたたみ方を練習したりして。袴をたたむのって、めちゃくちゃ難しいんだよ。


テレビに出ても、告知をしても、漫才協会に人が入らない





ーー今とだいぶ違うんですね。


全然違う。俺が入った時はまだ師弟制度があったから、みんなちゃんとしてたよ。


ーー塙さんが変えていったんですか?


俺が変えていったわけじゃない。協会に人が入らなくなっちゃったわけ。師弟制度がきつい、学校に通えばいいと言って。


ーー今回、たくさん入られたじゃないですか、ハマカーンさんとか、エルシャラカーニさんとか、Hi-Hiさんとか。そういう方をナイツさんが引っ張ってこられたわけじゃないですか。


僕らがいくらテレビに出ても、告知をしても、漫才協会に芸人が入ってこないんですよ。だからこちらからスカウトをするしかない。15組くらい増やしました。


ーー私が昔、入りたいと言ったときに、ピン芸人のねづっちさんに相談したら、三又又三さんが落ちたから、多分ななちゃんも無理じゃないかって言われましたよ。


三又又三さんについては、全員一致で認めなかったんです。


ーー何故ですか?


すこぶる評判が悪かったんだよね。ハチミツ二郎さんから絶対にやめたほうがいいってメールが来て。それを見て俺はまじでやばいと思った。

今思えば三又さんも知名度があるし、入ってもよかったのかなとは思うんだけど、当時はピン芸人はダメだとかルールが色々あったから。


漫才協会は面倒臭いところ。でもなくしたくない





ーーなぜそこまでして漫才協会や浅草を盛り上げたいというお気持ちがあるんですか? もとは嫌々入ったというお話をよくされているから、意外だったんですよ。ネタとしておっしゃっているのかと思っていたんです、失礼ながら。


ちゃんと分かったでしょ。俺がいかにいろいろとやっているか。総会でのおぼん師匠とのケンカ、見たでしょ?


ーー面白すぎました。


あれを見た時に、マジで大変だなと誰もが思うみたいだからね。


ーー塙さんがいないと回らないなと思いました。


面倒臭いよ。全員に対して気を遣うしさ。


ーー別に、名前だけを役職名簿に載せておいて、実務は距離を置くことだってできるわけじゃないですか。


それはななちゃんがYouTubeをやってる理由と同じだよ。自分のためだし、人のためでしょ。大義みたいなものがあるのかもしれないよ、どこかに。


ーー漫才がお好きだから? それとも浅草にいる仲間が好きだからですか? 関西の人に負けたくないから?


そこまで考えたことはないんだけど、初めて言われた。無償なのに、なんで俺はこんなにやってるんだろうね。漫才はもちろん好きだよ。

漫才協会をなくしちゃいけないとは思っているよね。


ーーそれはどうしてですか?


さっき言ったことと逆になるし、時代に逆行するようなことを言うんだけど、師匠と弟子の関係の場所がなくなっちゃうのはヤバいと思っていて。 結局、学校だけだとビジネスになる。歌舞伎とか落語も全部、師匠と弟子がいる。人から人に継いでいくものじゃないですか。漫才もそう。例えば、ダウンタウンさんは別に師匠がいるわけじゃないけど、師弟関係があるのがあたりまえの世代だから、松本さんは紳助さんを尊敬していたりする。そういうのがなくなると、みんなそれぞれ自分のことだけをするようになってしまう。


ーー芸とか仕組みといった、漫才を文化として残したいということですね。


そうそう、だからできるわけよ。ここで金儲けしようと思っちゃったらできないのよ。


ーー確かに漫才協会みたいなところがないと、漫才が廃れていきそうですよね。私も自分で会社もやっていますが、経営のことだけを考えると、お笑いのライブやネタ作りといったものは切り捨てなくてはいけなくなるんですよね。


師弟関係は最高に面白い





ーー今後、漫才協会をどうしていきたいんですか?


師弟関係を復活させることですね。 この前、マセキ芸能社の漫才をやっている芸人20組を会議室に集めて、漫才協会に入りませんかという話をしたんだけど、全然手が挙がらないわけ。入会金もそんなに高くないし、誰かの弟子にならなくてもいいし、とかいろいろ説明したんですが、だったら別に入る必要がないじゃないですか、ライブと同じじゃないですかと言うわけ。 なるほどな、と思ったんですよね。漫才協会の価値をこちらが消しちゃってたんだなと。 ビートたけしさんにたけし軍団がいるように、トークの時に師弟トークができるし、師弟を漫才協会から作っていくのは面白いと思っています。


ーー私が事務所にいるときは先輩の話をするように言われたけど、辞めたらそれがしづらくて。


吉本興業のすごいところは、先輩後輩の関係の濃さ。でも、事務所の先輩後輩の話って、俺としてはビジネスの関係に見えるわけ。師弟関係ってそうじゃない。だから面白い。 ところで、漫談の中津川弦の師匠って誰か知ってる?


ーー知らないです。


鯉川のぼる師匠っていうんだけど、誰も知らないじゃん。まず、ものまねの鯉川のぼる師匠の弟子って誰だよって。なんでそこの弟子になったかも興味があるし。今後は俺も弟子を取るかもしれないし。やっぱり師弟って最高に面白いと思う。


最後に


 ご自身が売れたい、お金を稼ぎたい。そうではなく、漫才を愛し、漫才という文化をどう残すのか、塙さんの気概に触れ感動しました。お笑いが大好きな私にとって、芸人がネタをするという文化が続いてほしいと心から願うばかりです。そして、 趣味が多様化する現代社会において、それをこんなに考えている先輩芸人の方がいらっしゃることは、嬉しいし、若手芸人にとっては、とてもありがたい限りです。―vol.2では、いじめを「笑い」で跳ね返した塙さんの学生時代の話をお聞きします。


動画は下記からご覧ください。



 
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