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  • 執筆者の写真笑下村塾

「もう一回福島を全力でやりたい」最年少議員、馬場雄基の目指す日本のかたちとは

こんにちは、スタッフの池田です。


政治家のパーソナルな部分にまで踏み込んで質問することで、その人となりを知り、有権者に投票するときの参考にしてもらおうというインタビューシリーズ。今回は、立憲民主党の馬場雄基議員です。政治家になった運命的な経緯や二人三脚で歩んできたパートナーの話まで、ジャパンエフエムネットワークのラジオ番組「PEOPLE~たかまつななの政治家とだべろう~」にて迫りました。(取材:たかまつなな/笑下村塾)

こちらは2023年 9月 22日に収録した内容です。

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馬場雄基さん:32歳。1992年(平成4年)。福島県郡山市出身。慶應義塾大学卒業後、三井住友信託銀行を経て、松下政経塾に入塾。2021年の衆院選で当選を果たし、現在は現職最年少の国会議員。

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対談動画はこちらから


最年少の国会議員


ーー最年少ということですけど、入ってびっくりしたこととかあります?


馬場:最年少というのは、蓋を開けてみたらそうであったというところで、ありがたい立場をいただいているんだなというふうに思うんですけど。

入って一番最初に教えてもらったのが、FAXの取り扱いだったんですよね。

これちょっと、え?っていうふうに思ってしまったところもあって。もちろん変わってきていることもこの2年近くの時間の中であるんですけど、もっと変えられるところがあるよなというふうには思いました。


ーーほかにもジェネレーションギャップを感じるときはあるんですか?


馬場:いろいろなところで感じることはありますね。議論に関することで言えば、100年後までに高速道路を無料化する法案について。「100年後ってそもそも僕も生きていないよな」というふうに思いました。ジェネレーションを越えて決断をしていくということに違和感とか、これでいいのかというのは何度もこの立場で感じた経験かなというふうに思っています。


ーーそういうのは議論したりするんですか? これ100年後っておかしくないですかって。


馬場:もちろん。違和感を覚えますというのは当然言います。それは私だけが思っているわけではないので。でも残念ながらそれはそのまま通ってしまい、本会議場で聞いていても、このメンバーで本当に胸を張ってこれでいいって言えるのかなというのは思いましたね。





先輩たちに少しでも恩返しを


ーー党の雰囲気はどんな感じですか? 立憲民主党の中でそうやって声を若いからって上げにくいとか、上げやすいとか、そこら辺はどんな感じなんですか?


馬場:私が今年の2月13日に初めて予算委員会をやらせていただいたのですが、準備を何をやっていいか分からないといったときに、本当に数多くの先輩方、そして数多くの先輩事務所の秘書の方々、当職員の方々、それこそ行政も含めてですけど、本当にいろいろな方々が救ってくださっていたので、先輩方には本当に感謝しかないですし、少しでもそのための恩返しをしないといけないなというふうに思います。


ーーそういうのは先輩から見て学ぶみたいな感じなんですか?


馬場:もちろん普段の活動から……。


ーーやり方分からないですよね、急に予算委員会で指名で何分あるから自由に使っていいよって急に言われるわけですよね。


馬場:さすがお詳しいですね。テーマから決めなければならず、こういうテーマをやりたいというふうに言うと、先輩方は予算委員会というのはもっと大きく構えろ、もっと大きく行けということを指導いただいて。

先輩どうなんですかって言ったら、ポストイットを先輩が持ってきてくださって、一緒に考えるぞって言って。朝早くから夜中まで本当に一緒にやってくださって。感謝しかないです。



「もう一回福島を全力でやりたい」と思い政治家に


ーーそもそもなんで馬場さんは政治家になろうと思ったんですか?


馬場:元々興味はあったと思うんです。でも、自分自身が政治家になるイメージを持てたかというと、全然持っていなかったんです。ただ私自身、2011年の東日本大震災のときが高校3年生。卒業直後の時でした。


ーーしかも福島にいらっしゃったんですよね。


馬場:当然そうですね。あのときは福島市で大学の後期試験の前日ですから、私はもう行く大学は決めており、大学に行かざるを得ませんでした。

そこで、生徒会をやっていたものですから、後輩たちにちょっと東京に行くねという話を言ったら、いまだに衝撃的で覚えているんですけど、一文で「先輩、逃げるんですね」というふうに返信をくれた女の子がいたんです。その女の子が言いたかったのは多分、「もっと一緒にやってほしかった」ということだと思うんですけど、そう思われた自分が苦しくて。ずっと福島から逃げていた部分があったのかもしれないです。

社会人になってきっかけをいただいたときに、「もう一回福島のことを全力でやりたい」と思って。政治家になりたいというよりかは、福島のために何かやりたいということで、松下政経塾の門を叩きました。


1本の電話が人生の転機に


ーー政経塾に行っている間に、政治家もいいなと思い始めたって感じなんですか?


馬場:いや、むしろ慎重になったほうです。現場を変えていく当事者でありたいというのが僕の願いだったので。

最終的に私が卒塾したときに選んでいるのが、福島のコミュニティ施設、公民館ですけど、それの事業経営者をやらせていただいていまして。そこでどっぷり大体2年半ぐらいやらせていただき、いろいろな方々との繋がりをいただいた中で、福島2区というところでなかなか候補者が決まらない中、私というものに球が飛んできたと。


ーースカウトされたんですか?


馬場:いわゆる1本の電話から始まったので。


ーーなんて言われるんですか?


馬場:そうですね。出ないか?って。びっくりですよね。

そもそも自分自身がそういうふうになることを想定している状態ではありませんので、家に戻って妻に、正直断ろうというか、自分ではないと思うという話を言ったときに、ある意味バシンと言われたというか。


ーーなんて言われたんですか?


馬場:妻に言われたのは、何をやりたいんだ?と。それに対して、復興だよと。すると、復興で頑張っている現場の人たちはたくさんいるよね。でもみんな頑張っているけど、みんなどこかで苦しんでいるよね。それってもっと現場よりも大本のほうに問題があったりするんじゃないの。その大本に挑むことっていうのも、誰もができるわけじゃなくて、今その球が飛んできているとするならば、それを思いっきり取りに行くのが、今のあなたの使命なんじゃないのかと言われて。


ーーパートナーの方、すごいですね。じゃあものすごい立憲民主党がよかったとか、そういう感じでは正直なかったという感じなんですか?


馬場:当時政党と言われるものに対して、フラットに見ていました。ただ、私自身、立憲民主党からこういうふうにありがたく県連から要請をいただいたときに思ったのは、復興をやりたかった私にとってみれば、あのときに立ち返ることが一番の原点になるわけです。ある意味こういうふうな要請をいただいたことは、そこに挑むチャレンジになりますので。





二人三脚の政治活動


ーーパートナーの方のどういうところが好きなんですか?


馬場:やっぱり自分をまっすぐ見てくれるところ。いいところはいい、だめなところはだめとはっきり言ってくれるところ。よくいいところは皆さん言ってくれるときもあるかもしれないですけど、だめなところをしっかり言ってくれる。


ーーすごい。二人三脚でやっているんですね。


馬場:妻の支えによって本当に動いていたのは間違いないですし。そこからチームがどんどん作られて、今の秘書さんとか、まさに支援者の方々も、私と私の妻と2人に来てくださっているような気さえしていますね。私だけじゃない気がする。


ーーどこで出会われたんですか?


馬場:いうならば社内婚みたいな話になってくるんでしょうけど、松下政経塾という学び舎の中の同期という立場で出会いましたね。


ーーなんてプロポーズしたんですか?


馬場:2021年2月に地震があったんですよ、福島で。大きな地震だったんですけど。そのときに当然私は公民館の事業経営をやっていたので、すぐ現場に行かなきゃいけなかったんですが、妻が相当気が動転していたんです。

気が動転していたときに、人間って窮地になると何やるか分からないですね。本当にその場に用意していた結婚指輪があったんですけど、それをとっさに持って、もし万が一何かあったときにはここへ集合ねって。でもその間離れ離れになるから、これを一緒に着けて、それぞれのところに行こうというふうな話を言ったのが、プロポーズになっちゃいまして。



直球しか投げられなくても、行けるとこまで行きたい


ーー幼少期はどんな感じだったんですか?


馬場:私ですか? あんまりいいガキじゃなかったと思います。


ーー優しいって感じですけど、怒ったりするんですか?


馬場:いやいや、それはそれは。人間ですもん。

曲がったことがあるとだめかもしれない。


ーーっぽい。でも、それって政治家ってきつくないですか?


馬場:正直この業界合わないなと思った瞬間がないわけではないです。ですがいただいた付託ですよね。その上このバッジって自分一人の人間ではないと僕は思っているので。

確かに変化球を投げられなくて、かなりうう…っていうときはないわけではないですが、この中でやりきって生き抜くしかないんだろうなと思いますし。

でも直球しか投げられないことが通用しない世の中もなんなんだとも思うので、行けるところまで行ってやろうというふうに思っています。


大好きな同期


ーー孤独とかは大丈夫ですか? 最年少で若手議員がいなくて、孤立して寂しいみたいな、そういうのはないんですか?


馬場:ありがたいことに、同期という繋がりが支えてくれています。


ーー誰と仲がいいんですか?


馬場:例えば北海道であったら荒井ゆたかさんや、おおつき紅葉さんであったりとか。


ーーだいぶ先輩ですね、年齢で言うと。


馬場:でも同期の中で、逆に私を立たせてくださるというんですか。同じ位置に来ていいよと言ってくれる。


ーー対等に見てくれるってことですね。


馬場:それは同期ならではの空間。本当に身内そのもののような温かさを持っているので。もし孤独を感じたときがあったら、そういうふうに相談できる環境があります。



盆踊りみたいな国を作りたい


ーーもし内閣総理大臣になったら何をしますか?


馬場:本当にいろいろあるんですけど、ゆくゆく結論して見えてくるのは、私は「紡ぎ合う国、日本」というのを作りたいんだと思うんです。復興の各現場を回ったときにも、向こうに一番大切にしたい思いはなんですかって言ったら、「紡ぎ合う」という言葉が出てきたんです。支え、支えられ合うとか、そういう関係性よりもさらに上に行った一人ひとりが責任を負いながら。けど一人の力ではなくて紡ぎ合う。一人ひとりが重なってより強くなっていく、この強さをどう作れるかが、今この国に最も必要なことだと思います。


ーー紡ぎ合う社会を作るために、政治として何ができると思いますか?


馬場:具体的なイメージで言うと、私は多分、たどり着いているのは盆踊りな気がするんです。

盆踊りってすごく凝縮されていると思うんです。

最初って多分、シニアの方が笛を吹いたり太鼓を鳴らしたりするじゃないですか。でも途中で青年層に替わり、途中で小学生とか、幼少期の方に替わっていきますよね。幼少期の方々って歌詞を見ながらとか、音をちょっと外しながらとか。でも大人のその背中を見ながらなんとかついていこうというふうにやっている、失敗を許される空間がそこにあるわけですよ。そしてその主体者がどんどん移り変わっていく姿を周りの人たちは楽しんで、歌いたい人は歌っているし、踊りたい人は踊って、食べたい人は食べているという、この秩序ある自由なこの空間というのを、地域でどう作るかだと思うんです。

なので、市町村とかよりももっと小さい単位、地区の単位だと思うのですが、盆踊りのような国を作りたいというふうに思っています。


対談動画は以下のリンクから




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