原発爆発をテレビで知った——元官房長官・枝野幸男が明かす、震災対応の内側と15年後の教訓
- 笑下村塾

- 3月18日
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更新日:4月19日
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から15年。当時、官房長官として24時間体制で危機対応にあたった枝野幸男氏が、当時の混乱と、そこから得た教訓を語った。
※この記事は、YouTubeチャンネル『たかまつななのSocial Action!』のために2026年3月11日に収録した内容を元に作成しました。

震災直後、官邸には日本で最も早く情報が集まるはずだというのが一般的な認識だった。枝野氏自身もそう信じていた。しかし現実は異なった。原発の爆発という最悪の事態を、官邸の人間がテレビのニュース映像で初めて知るという情報の断絶が起きていたのである。後に判明したことだが、当時、東京電力の本店と福島第一原発の現場はテレビ電話で常時繋がっていた。しかしその情報は官邸に共有されていなかった。「なぜこちらに教えてくれなかったのか」という組織間の壁への不信感は、今も消えていない。
「#枝野寝ろ」と話題になった連日の会見では、国民のパニックを防ぐため、あえて普段より低い声でゆっくりと、一語一語を噛まないように話すことを徹底していた。「政府の人間が一度でも噛めば、何万人もの人が不安になる」という確信があったからだ。「当時は46歳だったから耐えられた」と枝野氏は振り返る。
当時物議を醸した「直ちに健康に影響はない」というフレーズについても説明がなされた。これは、放射性物質が検出された牛乳や水をその時点で飲んでしまったとしても、即座に被害が出るレベルではないという限定的な安全性を伝えたものだった。しかし情報の飢餓状態にあった社会において、その言葉は文脈を離れて独り歩きし、政府への不信感の一因ともなった。
15年が経過した今もなお、福島を苦しめているのが風評被害だ。除去土壌の最終処分については法律で2045年までに県外で行うと定められているが、受け入れには根強い反対がある。しかし福島第一原発の電力は、主に首都圏で消費されていた。枝野氏は「リスクだけを地方に押し付け、自分たちは安全なところで『安全だ』と言うのは不誠実だ」と断じ、安全性が確認された土壌であれば、まず官邸や霞が関で率先して活用し、身をもって安全を示すべきだと主張する。

危機管理のあり方についても枝野氏は持論を述べた。法律や憲法で想定外の事態を事前に網羅することは不可能であり、「後で理屈は考えるから、今は命を守るためにこれをやれ」と政治家が責任を持って枠を超える決断をすることが重要だという。帰還計画が立たない段階での強制的な避難指示も、当時の行政の常識では極めて異例の判断だったが、命を守るための最善だったと確信していると語った。
今後の備えについては、現状の自治体任せの分散型から、国が責任を持つ集中管理型への転換を提言。エネルギー政策に関しては原発を早期にやめるべきという立場を崩さないが、廃炉技術の継承、電力会社の会計処理、使用済み核燃料の行先など、避けられない現実問題と向き合わなければ「原発ゼロ」は達成できないとも指摘した。
「大事な人が明日いなくなるかもしれない、という中で我々は生きていることを忘れないこと」。これが15年を経た今、枝野氏が震災を知らない世代へ送る最も切実なメッセージだ。起こってしまった時に、そこからできることは本当に限られている。特別な防災グッズを揃えること以上に、日頃から大切な人と連絡手段を確認し、覚悟を共有しておくことの重みを訴えた。
文・玉城
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