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  • 執筆者の写真笑下村塾

「1発殴られると50ポイント」松村邦洋さんが耐えたいじめの日々

高校時代に不良にパシられるだけでなく、トイレでボコボコに殴られるという、壮絶ないじめを受けてきたという松村邦洋さん。そんなひどい目にあっても、いじめられた自慢やモノマネで明るく笑い飛ばしてきたと言います。「理不尽なことをされると、運が上がると思って耐えてきた」とも話す松村さんに、いじめに対する今の思いを笑下村塾たかまつなながYouTube「たかまつななチャンネル」で聞きました。



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ボコボコに殴られっぱなしの高校時代

――学生時代にいじめにあわれていたとお聞きしました。


松村:そうですね。僕らの中高校生時代って、全国的に校内暴力が問題になっていたんですよ。だからいわゆる不良という悪いやつが多くて、とくに高校時代はパシリはおろか、トイレでボコボコにされるなんてことはよくある光景でした。

――松村さんもボコボコに殴られてたんですか?


松村:やられたらやり返さない、殴られたら殴られてまま。「半沢直樹」の逆パターンですね。殴られたり理不尽なことをされたらシュンとおとなしくなるんだけど、当時からモノマネをして調子に乗っていたりもしていたんで、割と元気ないじめられっ子でしたね。

――モノマネはいつからやられていたんですか?


松村:中学生の時からやっていました。高校時代は、学校の先生のモノマネをしたりと、モノマネのレパートリーが増えた時期でもあるので、モノマネを磨くために高校に進学したのではないかってくらい。いじめのピークでもあり、モノマネ人生のピークでもありましたね。

――モノマネをしようと思ったきっかけは?


松村:振り返れば、小学生の時からからかわれていたんですよ。勉強ができないわ、運動神経も悪いわで、何をやってもダメだったんで。それで中学校に入っても暗さを引きずっていたんですけど、このころ、「いじめから逃げたい」という一心で頻繁にテレビを見るようになったんですよ。『オレたちひょうきん族』なんかも流行っていて、ビートたけしさんを敬愛するようになったのもこの時期。そういうエンタメに触れるようになったら、自分自身も明るくなっていったし、自然とモノマネをやるようになっていました。

――中学生になってから徐々に明るくなっていったんですね。


松村:剃り込みを入れて悪ぶっていた時期もあります。テスト週間に友達の家に集まって、勉強をしないでおかし食べたり、コーラ飲んだりして、「俺たちってワルだな」なんて言って。今思うと、全然ワルじゃないんですけど、当時はイキがってましたね。目立てばいじめが克服できるとも思ってました。本当は悪くないのに調子に乗ってワルぶっていたから、高校では殴られる専門のいじめられっ子になっちゃったんですけど(笑)。



モノマネが人生の救世主に

――中高時代、いじめから助けてくれる人は周りにいなかったんですか?


松村:いじめられっ子同士で傷を舐め合うということはありましたね。みんなでどんな仕打ちを受けたかを自慢するんですよ。ひどい目にあったのかを競う選手権みたいに。雪合戦でみんなに標的にされたり、1人で雪だるまを作らされたり。そうしていじめられた話をいじめられっ子同士で明るくしてましたね。そうでもしないとやっていけなかったというのもあるんですけど、でもやっぱり僕の一番の救いは、モノマネかな。

――モノマネに助けられた?


松村:そう、僕にはモノマネしかなかったですからね。ある時、普段はいじめられっ子なのに、怖い先輩のモノマネをすると、いじめられっ子にも強くものを言えるってことに気付いたんです。例えば、暴走族の人に絡まれた時、金八先生の加藤優のモノマネで「バカやってねぇで、真面目に働け」なんて言ってみたり。自分ではない誰かになることで、強くいられたんですよね。そんな自分にならせてくれるモノマネがあったから、いじめから生き延びられたんだと思います。

――普通の人にはマネができないですね。いじめられっ子から卒業するために、家で練習していたんですか?


松村:家でバッティングの素振りの練習を300回くらいやった後、鏡越しに移る自分の顔を見ながらモノマネの練習をしてましたね。芸人になった今なんかより、高校時代の方がめちゃくちゃ練習してました。

――すごいですね。当時、つらい日々のはけ口はあったんでしょうか?


松村:けっこうノートに悪口を書いてましたね。学校の先生や野球部の先輩なんかの。これを書くと、スッキリするんですよ。で、また次の日からいじめられっ子の指図を受けると、それでまた悪口をノートに書いてって、この繰り返しですね。

――最良の策ではなさそうですが、一時的に心のストレスは減りそうですね。


松村:あと、「ザ・ベストテン」世代というのもあって、いじめてきた憎いやつをランキングにして書いていました。それも芸能界に入っても最初の6年ぐらいは続けてましたね(笑)。だけど、こんなことしているから自分は進歩がないんだってやめちゃいました。あ、誰の名前を書いていたかですか? それは言うとまずいですね(笑)。みなさん今もバリバリやっていらっしゃるので。



我慢するのが美しい。そんな時代はもう終わり

――いじめられている時、学校の先生や親御さんには相談できたんですか?


松村:今は相談に乗ってもらうのが大事だと思うんですけど、僕らの時代は、相談=告げ口と捉えられて、卑怯者とされる風潮があったんです。いじめられていたけど部活動を続けた、いじめられていたけど学校を卒業した。我慢するのが美学のような、そんな根性論が息づいていたんですよ。いじめている側はいい時代だったのかもしれませんが、いじめられている人間からしたら、ただ耐えるだけでどこにもやり場がなかったですけど。

――強いんですね。


松村:いえ、強くはないです。何回も学校を辞めようと思っていましたし、1年365日、通学したら1日引いていくっていう計算を毎日してましたから。卒業を指折り数えていたんですよね。ただ、卒業まであと1年って時に、留年が決まってまた+365日になってしまったんですけど(笑)。

――いじめに対して、当時の先生にやってもらいたかったことはありますか?


松村:生徒がどんな目にあっているかというのは、担任の先生には把握してもらいたかったですね。授業や進路の相談もすごく大事だけど、学校でつらい目にあっていないか、人知れず悩みを抱えていないか、そういった生徒1人1人の声に耳を傾けるのはもっと大切だと思うんです。少しでもいじめが起きたらなら、それはもう教育機関である学校としては成立してませんからね。目の前に困っている人がいたら、蹴落とすんじゃなくて手を差し伸べる。それこそが教育の根本じゃないですか。それに青春時代って、もう二度と来ないんですよ。そんな貴重な時間に、いじめでつらい思いしてはいけないんです。


理不尽ポイントが貯まれば夢が叶う?

――いじめにあわれている時、どんな思いを抱いていたんですか?


松村:つらかったけど、そんな思いをした分、絶対に夢が叶うと思っていたんです。難が多い人って、のちに運に恵まれるとも。実際にタレントや芸能人になる人って、いじめられていた過去を持つ人が多い気がします。そういうつらい思いをしている人は、運が上がるポイントが貯まるんですよ。だから僕自身、いじめにあっても必ず運が巡ってきて、夢である芸能人になれると信じてました。1発殴られると50ポイント、2発だと100ポイントっていう風に、理不尽なことされればされるほど、将来の道を切り開く際に使えるポイントが貯まっていくと。

――そうやって自分を奮い立たせていたのかもしれませんね。


松村:そうかもしれませんね。いじめられている人は実は運が貯まっていて、この先、いいことばっかりなんですよ。10代でつらい思いをした人は20代でいいことがあるし、20代でつらかった分は30代でポイントが倍にアップ。そんな風にいじめを捉えてしまうほど悩んでいたのかもしれませんが、僕はそう思っていじめ人生を生き抜いてきました。

――実際に松村さんは、夢だった芸能人になられました。トントン拍子に芸能界に入られたんですか?


松村:福岡の大学に進学してテレビ局でアルバイトをしている時に、片岡鶴太郎さんにお会いしたんです。その少し前に素人ものまね番組に出演して、敢闘賞を受賞しまして。それで鶴太郎さんに、「お前見たことあるぞ。たけしさんのモノマネうまいな」って、芸能界に声をかけていただいたんです。それで大学を中退して、上京することにしました。

――憧れのビートたけしさんに会われたのはいつですか?


松村:21歳の時ですね。目の前でモノマネをやらせていただいたんですが、「松村がやる自分のモノマネを見て、俺っておもしれぇなって気づけるね」っておっしゃっていただいて。本当に嬉しかったですね。

――それは運のマイレージが貯まっていたから叶えられた?


松村:やっぱり我慢しておくと、運のポイントが貯まるんだなと思いました。ただ僕の場合、そうやって自分自身の逃げ道を作ってあげることでなんとかなりましたが、今、いじめにあってつらい思いをしているなら、やっぱり誰かに頼っていいんじゃないかと。

――はい、1人で悩むのは危険ですよね。今、いじめにあわれている方にアドバイスするとしたら?


松村:「進め!電波少年」っていう番組をやっていた時、ロケが過酷でつらすぎて、暗い気持ちになっちゃったんですよ。そんな時、共演者の松本明子さんが「つらい時ほど、明るく行こうよ」って励ましてくれて。その言葉が僕自身を前向きにしてくれたし、つらいロケも乗り越えることができたんです。だから、もしできるなら…、心許せるような人を見つけるのも大事だと思います。


必ず報われる時が来る

――今、いじりといじめの違いが話題になることが多いんですが、松村さんがバラエティ番組などで気をつけていることはありますか?


松村:芸人さんはお笑いのプロ。だから芸人さんがやるいじりは、ちゃんとお笑いとして成立しているので、いじめのそれとは違いますよね。だからプロの現場では、萎縮せずにガンガンいじっていいと思ってますし、僕もいじってもらいたいと思ってます。

――いじられることで、救われたことってありますか?


松村:いじってもらえるのは、愛があるからだと思ってます。一番つらいのは、無関心や無視。いまだに仕事で怒られることもありますが、それだってとてもありがたいことだと思ってます。だって怒る方がよっぽどエネルギーを使うじゃないですか。だからすべては、受け取る側がどう感じるか。そういう考えがあっての行動を取ることが大切なんですよね。

――いじめられていた当時の自分に伝えたい言葉は?


松村:大丈夫って言ってあげたいですね。いじめを乗り越えた先に、なりたいものになれる未来が待っていると。

――最近はコロナでの誹謗中傷が起きています。コロナいじめで苦しんでいる方もいらっしゃるようです。


松村:僕自身、コロナに罹患して差別的な扱いを受けました。そんな目にあっても、これはもう事故みたいなので、決して自分を責めないでほしいです。誹謗中傷をしている方には、誰かを非難することは自分自身を非難しているのと同じことだと伝えたいです。「自分は寛容な心を持ち合わせてない」と言っているのと一緒だと思うので。匿名だろうがなんだろうが、人を非難するのはやめてほしいですね。

――今、いじめに悩んでいる人たちにメッセージをお願いします。


松村:この先の未来にいいことあると信じてください。だから、最悪な決断だけは避けてほしいです。僕たちは自分の意思で生まれてこられなかった。だから死の選択も自分の意思でしてはいけないと思うんです。今まさにいじめにあわれていても、いじめっ子をいつか見返せる時が必ずきます。ぜひ周りに頼って相談して、ベストな環境の中で生きていってください。

――ありがとうございます。松村さんのお話で勇気をもらった方がたくさんいらっしゃると思います。心の支えを見つけたり、自分の将来をイメージしたりするのも大切ですね。松村さんの方法は選択肢の一つなので、もし今いじめにあわれている方は、1人で悩まずに周りの大人や相談窓口に相談していただければと思います。



笑下村塾#元いじめられっ子から今いじめられている君へ 「子どもの自殺」を止めたい。カツアゲ、暴力、殺害予告―。著名人が、壮絶いじめ体験をYouTubeで赤裸々に語ります。 プロジェクト特設サイト↓ https://www.shoukasonjuku.com/ijime <今苦しんでいる人へ> まず相談してみよう。 いじめへの対処法は、人それぞれです。 上記のタレントさんと同じ向き合い方が正しいとは限りません。

まずは自分の状況を、だれかに相談してみることが大事。 親や信頼できる先生や大人に報告してみよう。 子どもの相談窓口もあるよ。

<主な子どもの相談窓口> ●よりそいチャット(LINE・チャット) 生きるのがつらい人の相談窓口。 https://yorisoi-chat.jp/

●チャイルドライン(電話・チャット) 18歳までの子ども専用の悩み相談窓口。 https://childline.or.jp/index.html ☎︎0120-99-7777

●24時間子供SOSダイヤル(電話) 子どもや、いじめなど子どもに関する悩みを持つ保護者等が相談できる窓口。24時間365日相談できる ☎︎0120-0-78310

●BONDプロジェクト(LINE・電話・メール) 10代20代の生きづらさを抱える女の子のための相談窓口。 https://bondproject.jp/ ☎︎070-6648-8318

●自殺総合対策推進センター 都道府県・政令指定都市別の、いのち支える相談窓口一覧 https://jssc.ncnp.go.jp/soudan.php

その他​、厚生労働省HPも参考にしてみてください。 ※親から虐待をうけている場合は、周囲の大人に相談したり、児童相談所全国共通ダイヤル(189)に電話しよう。





※この記事はwithnewsからの転載です




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