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執筆者の写真笑下村塾

“キレキャラ”も、依存症も、母との確執からはじまった。青木さやかを変えた出来事とは

「どこ見てんのよ!」の”キレネタ”で一斉を風靡し、現在は芸歴25年となるお笑いタレントだけでなく、女優としても活躍し、NPOで動物保護活動も行なっている青木さやかさん。そんな青木さんは、テレビや雑誌などのメディアで語った母との確執が話題になりました。今回は、その母との確執について、仕事のこと、結婚・離婚を経てシングルマザーとなった現在についてお聞きしました。


キレる理由がなくなり、ツッコむ人もいなくなった




たかまつ:青木さん、今は何をされているんですか?


青木:仕事は舞台やドラマに出させてもらったり、情報番組のリポーター、YouTubeで『犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方』というチャンネルもやってます。あと、婦人公論WEBでコラムを。

たかまつ:青木さんといえば”キレキャラ”のイメージがありましたが、コラムで「後輩などがツッコんでくれなくなった」と書いていらっしゃいましたね。


青木:”キレる”というのは、自分が持ってないものを持っている人に対して、自分の中にある気持ちを大げさにデフォルメする感覚なんですが、いつからかキレる理由がなくなったんです。お金が手に入り、認知度も上がって、家庭も持って、子どももいる。怒る対象もいなくなってしまって。 あるときバラエティ番組で怒ったときに、誰も笑わなかったんです。ご意見いただきました、みたいな空気になってしまって。 それに、うまく怒れなくなってしまったんですね。娘や学校関係者が観ていたらどう思うか、誰かに迷惑をかけないか……考えていったら、もう役に立てないんじゃないかと思い始めて。それに実際オファーがないというのは、”キレキャラ”として役割を果たせていないということだと思う。



孤独とお金の渇きを埋めたかった




たかまつ:当時は辛かったとのことですが、どういうことですか?


青木:『犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方』も手伝ってくださっている20年来の友人おおくまいちろうさんに言ってもらって気づいたのですが、結局、私は”自分軸”か”他人軸”で言うと”他人軸”で生きてたの。この番組ではこういう役割をするべきだ、みたいな感じで、ずっと私ではない誰かのために役割を演じてきたんですね。その限界がきちゃったんです。多分。 あと、私はすごく孤独で、売れたらみんなが私のことを知って、枯渇している自分を埋めてもらえるかな、と思ってたんだけど、全く埋まんなかったね。だから困った。もちろん、売れたから見れた景色もあるし、バラエティ番組で第一線で活躍している人たちとしゃべっているのは、それはそれは楽しい時間だったけれど。 それと、私、何百万円単位の借金があったんです。パチンコとかのギャンブルにはまってしまったことがあったからです。親にもお金をたくさん借りたし、消費者金融などで自転車操業、こっちから借りてあっちに返すを繰り返していました。




依存症の過去....いつ再燃するかわからない





たかまつ:青木さんはもともと地下芸人だったんですよね? 青木:私の周りの人たちも借金がたくさんあって、とても言えないような過去もあって、自己破産もしている、そんな人も多いアンダーグラウンドな世界。 私の生活はひどいものだったと思います。ギャンブル、モノ、お菓子、男……。いろんなものに依存しながら生きてました。現在は子どもにかけてる時間が多いですが、今後またギャンブルや他のものに依存する可能性もある。私、弱い人間なので。 今、自分を変えるためにも一生懸命、”自分軸”に変えて生き直している気がします。でも、今まで”他人軸”で生きてきたから、自分がやりたいことがよく分からないんですよね。試行錯誤です。 今は、静岡のNPO法人「TWFの会」で保護猫や保護犬の活動にも集中しています。いろんな事情で捨てられたり飼えなくなったりした動物たちを保護して一緒に生活し、その子たちを育て、里親さんに引き渡すというところまで見届けるんです。 人間に対する恐怖心で攻撃的になっている犬や猫が、愛情をかけて接していくとどんどん顔つきが変わっていく。そこで自分が役に立てるのがうれしい。 たかまつ:青木さんはどのように活動に関わっているんですか? 青木:保護犬や保護猫について知ってもらって、誰かが行動を起こせるきっかけになればと、『犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方』という団体を立ち上げました。イベントをやっていましたが、今はコロナ禍もあってYouTubeをスタートしました。 あと、虐待や多頭飼い崩壊してしまうような人たちや、子ども達にも動物と暮らすのって本当に楽しいんだと伝えていきたいですね。




離婚に至った理由





たかまつ:青木さんはシングルマザーで、10歳の娘さんがいらっしゃいますよね。離婚する選択をされたのは大変だったのでは? 青木:結婚も大変だったけれども、私の人生で一番疲れたのは離婚。離婚直後は何回も倒れて運ばれた。 離婚の原因を強いて挙げるなら、価値観の違いかな。相手側の理由は別として、こちら側としては、例えば、お金の使い方の違い。ようやく売れた私は、そのお金を使っていい暮らしをしたかったの。でも、彼はとても堅実な人で、それは贅沢だって。私は、頑張った分の贅沢を、一緒に共有したかったんだけどね。だから、自分がお金を出して買ったものも「彼からプレゼントでもらった」など嘘も言っていました……。 たかまつ:優しい嘘を付いてたんですね。 青木:でも限界がくるよね。だから、自分がこれだけ嘘付いてやってるんだから、家の中のこととかやっといてよ、みたいな気持ちがどこかにあったんだと思う。ただ彼からしてみたら、理由もわからずに私が不機嫌になっているように見える。今もその理由は知らないと思う。 何も言わなくても分かってくれる、甘えさせてくれると思っていた、っていうことかな、私の場合の離婚の理由はね。




子どもを愛するために、生き直している





青木:結婚生活は5年くらい。私は自分の孤独を男性で埋めたかったんです。彼のことは好きだし、子どももできたけど、埋まらなかったんですよね……。 たかまつ:孤独は埋められてるんですか? 今。 青木:埋められています。何かで埋めることはできないんだ、自分で埋めるしかないんだって気が付いたんです。でも、そこで自己肯定感の低さに直面した。 子どもを褒めたいと思っているのに、自分のことを褒めたことがないから、褒めること自体がとても難しかったんです。子どもをストレートに愛することができないのは、自分を愛することができないから−−−これに気づいた時に、生き直さなきゃって思ったんだよね。 それでいろんなチャレンジを始めたんですが、母との関係を修復することも、その一つです。



亡くなった母の手紙が、どうしても読めない





たかまつ:青木さんは先ほど自己肯定感が低いとおっしゃっていましたが、その原因は親との関わり方だったと伺いました。 青木:親から褒められなかったんですね。テストを頑張って80点取っても、なんで100点じゃなかったの、とか。私が孤独で自己肯定感が低いのは母親が原因だと思って、否定し続けてきたんです。 たかまつ:お母様と関係を修復しようと思ったのは何故なんですか? 青木:私は親を完全に嫌いになることができなくて、どこかで修復したいと思ってた。自分が親になったら親のありがたみが分かるよって聞いてたけれども、そうはならなかったし、自分の娘を母親が抱いているときに、私の大事なものに触らないでほしいとさえ思ったし、私はこんなふうに大事にされた記憶がないとも思った。でも去年、母が悪性リンパ腫で余命数カ月となったときに、これが最後の機会だなと。 母がいるホスピスに毎週のように通って、病室の前で気合い入れて、よし今日はこれを話そうとか、手を握ろうとか、自分に課していたんですね。そしたら、母がすごく喜ぶんです。この人、こんなに喜ぶんだ、って思って……。 私自身の心が埋まっていった。「私はいい娘じゃなかった、ごめんなさい」って母に謝ったんです。そしたら、そんなことないよ、って母親が。 母が亡くなった後、私宛ての手紙を弟から渡されたんですね。でも実は、まだ読めていないんです。どうしても読めない。手紙と向き合うのが怖い。彼女の反省なのだとしたら、私が母を否定してきた何十年に向き合う怖さもあるし、愛情にあふれていたのだとしたら、それはそれで立ち上がれなくなってしまうから……。 とにかく今は、私が友達に囲まれて、自分を肯定し、娘と一緒に楽しく暮らすことが死んだ母への一番の親孝行だと思っています。私が”他人軸”ではなく”自分軸”で生きることをはじめたのも、ここからです。




子どもがいたから成長できた





たかまつ:お母さんとの関係が、娘さんへの教育で影響していることは? 青木:そのままを認めてあげること。子どもによってそれぞれ違うから、子育てにマニュアルはない。褒めなきゃいけないことも、叱らなきゃいけないっていうこともないと思うの。娘をとにかく見て、共に生きる、ということだけ。 子どももずっと0歳のままでいるわけじゃないから、その時々で課題は違うし、本当に大変なことですよ。挑戦中です。 でも私は子どもがいないと成長できなかった人間なのかなとは思う。 昔ね、『いいとも(笑っていいとも!)』に出ていたときに、タモリさんが楽屋に来てくださって、「青木、”こうするべきだ”と思ってると辛くなるよ」って言ったの。その時は意味が理解できなかったんだけど、今はよく分かる。ものすごい深い愛情を感じます。 今は、日々チャレンジをしながらも、これが正解だ、なんて思わないようにして生活しています。

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お母さまとの確執を乗り越えて”自分軸”で歩き出した青木さんは、現在、舞台やNPOなどの活動を幅広く行っています。 その時々の課題に向き合う子育てのように、売れるきっかけになった”キレキャラ”に固執せず、全力で自分にできることに取り組む青木さん。母として、一人の人間として、人生を”生き直す”姿は本当に生き生きとしていました。





動画はこちらから

【前半】 保護猫・保護犬を助ける活動に力をいれた訳【青木さやかさんの生き様に迫る】



【後半】 【青木さやかさん】離婚・シングルマザーとして生きる決意とは……



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