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  • 執筆者の写真笑下村塾

どうしたら盛り上がるのか? 乙武洋匡から見た「東京パラリンピック」の現状




1回目は「社会におけるテクノロジーの必要性」、2回目は「障害者の政策課題」をテーマに乙武洋匡さんに話を聞きました。最後に、「東京パラリンピック」をどう盛り上げるか、その後どうするべきかなどをインタビューしました。



ロンドンパラリンピックはなぜ成功したのか





--「東京オリンピック・パラリンピック」間近ですが、何が課題だと思いますか?


まず、そもそも「パラリンピック」のことが考えられてないなと思うんですよ。例えばマラソン。オリンピックは札幌でやることになりましたが、「パラのマラソンの暑さは大丈夫なのか」なんて、話題にも上らなかったでしょ。 車椅子マラソン、視覚障害マラソン、上肢障害のマラソン、3種類もあるのに、それが報道すらされていない。


--聞いたことがないです。


僕は金曜日に『AbemaPrime』でMCをやっているんですけど、あそこで唯一やったぐらい。それくらい、パラリンピックはスルーされている。


--ロンドン五輪ではチケットが完売して、成功したと言われています。何が鍵だったんでしょうか。


当時の大会責任者の方にお話を伺ったら、2点おっしゃっていました。

1点は、PR戦略を変えたこと。パラリンピックは障害者のリハビリの延長線上であり、障害を乗り越えてスポーツに取り組む感動物語であるという見られ方があったのを、あくまで競技として純粋に面白いことを伝える戦略に切り替えた。

もう1点は、前年の2011年に、”未知との遭遇”を済ませたこと。つまり、パラリンピックはどんな競技があって、どんなルールで、どんな有力選手がいるのかを、プレ大会等をすることで知ってもらい、パラリンピックを楽しみだと思ってもらえる機運を盛り上げたそうなんです。


--日本が倣えるところはあるんでしょうか。


僕がパラアスリートの方々からよく耳にするのは、「自国開催は嬉しいけど不安」ということ。ロンドン大会のホスピタリティや障害者への対応は、ほぼパーフェクトだったと言うんです。でもあれを東京で実現できるかというと、不安だと。

日本人だっておもてなししたい気持ちはあると思うんですけれども、2回目の記事でも言いましたが、慣れていないから、どう接していいのか分からない。バリアフリーのスタンダードが何なのかといった常識が国際感覚から外れているので、「これで本当にパラリンピックができるの?」「 障害のあるお客様を迎えられるの?」というのがアスリート共通の不安みたいですね。



パラスポーツの見どころは、ドラマ性ではない



--どうしたら変えられるんでしょうか。スポーツとしての面白さを知るといっても、どうやって知ればいいんでしょう。


僕がメディアにいつもお願いをしているのは、パラスポーツをコンテンツとして育ててほしいということ。例えば、女子サッカーは澤穂希さんがキャプテンを務めていた当時、世界一に輝いたことで一気に視聴率も上がり、その後しばらくゴールデンタイムで放送されていた時期がありましたよね。ひとつのきっかけで、今まで地上波で放送されることのなかったスポーツが、一気にゴールデンタイムでやるようになった。でも、優勝前と優勝後で、やってる内容は同じなわけですよ。ただ観てみたら面白かったと。

それと同じかなと。なにもパラスポーツ全部が面白いわけじゃないと思うんですよ、正直。ただ、車椅子ラグビーや車椅子バスケは、僕は間違いなく純粋にスポーツとして面白いと思うので、もっとコンテンツとして育ててほしいなと思うんですよね。


--どういうところが面白いんですか?


まずは、車椅子ラグビーでは車椅子同士がぶつかることが許されているし、バスケでも不可抗力という範囲では認められているので、ぶつかりあった時の音、迫力、これがすごいんですよ。


--機械と機械がぶつかるわけですからね。


さらに戦略性も面白い。障害の重さによって、各選手に付与されるポイントがあるんですね。例えば、障害の重い選手だと0.5、軽い選手だと3.5と点数が付いていて、同時にコートに出られる選手全員の点数の合計が何点以下でなければならないというルールがある。だから、障害の軽い選手ばかりでチームを組むことができないんですよ。障害の重い選手、軽い選手を組み合わせる必要がある。しかもラグビーは男女混合競技。女性はさらに、障害持ちポイントから-0.5になるので、障害の重い0.5の選手も女性だったら0ポイントになるというわけです。

障害の重い選手が、相手チームの障害の軽い選手をうまく抑えられたら、今度は自チームの障害の軽い選手がフリーになレル。それによって得点を取りやすくなるといった駆け引きがあるんですね。

でもやっぱり障害の軽い選手のほうが車椅子を漕ぐスピードが早いので、障害の重い選手は早く漕げない分、その選手が侵入してくる角度を予測して追いかけたり、いかに勝負を仕掛けるかが問われたりする。


--ゲームとしての面白さがありますね。


そういうところがテレビで放送されるようになると、面白さが多くの人に伝わって、コンテンツとして育っていくと思うんですよね。



パラスポーツ=障害者スポーツという固定概念を捨てる



--メディアで取り上げる以外に、何か視聴者の方ができることはありますか?


町内会など、自分の地元でそのスポーツの競技大会をすると普及になるし、オススメです。

パラスポーツって、別にイコール、障害者のスポーツというわけではないんです。例えばオリンピック競技でもあるモーグルは、スノーボードという用具を使ったスポーツです。車椅子バスケは、車椅子という用具を使ったバスケットなんですよ。生身の人間が何かの用具を使ってスポーツをすることに違いはないのに、オリンピック、パラリンピックと分けられてしまう。

でも最近、パラはどんどん門戸を開いていて、車椅子バスケの国内大会なんかは、健常者の参加もOKになったんですよ。だからそれに出場するべく、健常者のプレイヤーも増えてきていますし、一般の大学でも健常者による車椅子バスケのサークルがつくられていたりします。


--楽しめるわけですね。小学校とかで車椅子体験をさせたりすることがよくありますけど、これだと楽しくない。ただ理解しましょう、と言っても難しいですし。


僕のオススメは、ボッチャというスポーツ。体育館でやるカーリングのようなイメージです。最初にジャックボールという革でできたボールを投げて的にするんです。そこに赤チームと青チームがボールを投げていって、最終的にどっちのボールがジャックボールに近づけられたかを争います。その過程で、邪魔しあったり、相手のボールを弾き飛ばしたりする戦略性が加わるんです。

手軽にやれて、健常者がやっても盛り上がるんですよ。僕の野望は、ラウンドワンみたいな複合エンタテインメント施設に組み込んで、「今日どうする? カラオケ? ボーリング? ボッチャ?」みたいにすること。盛り上がると思うんですよね。


--私の出身大学の体育の授業は、月ごとにいろんな種目があって、どれを履修してもいいという制度だったんです。その中にあった生涯スポーツに結構参加していたんですが、めちゃくちゃ盛り上がりました。バスケやサッカーと違って、スポーツが苦手な人も楽しそうにやっていて、スポーツっていいな、と思ったんですよね。


日本で一般的に”スポーツ”だと思われてることのほとんどは、”体育”なんですよ。体育とスポーツは似て非なるものです。体育の成り立ちはドイツの軍隊の養成で、上からの命令でやらせる、規律を守らせる、そういうことが重視されている。スポーツは逆に、起源は釣りやハンティングなど、余暇として楽しむものなので、自発的に何かやるという楽しさがあるもの。

まるで正反対じゃないですか。まさにたかまつさんがおっしゃった、ちょっと体を動かすことで楽しめることこそ、スポーツの醍醐味だと思うんです。



オリンピック後の日本の課題は何か




--オリンピック後の課題とは何だと思いますか? また、それに対してできそうなことはありますか?


過去の幻影を断ち切ることです。

オリンピック、パラリンピックがの高揚感でいまはみんなが見て見ぬ振りをしているけれど、今後の日本は人口が減り、経済も右肩下がりになっていくという現実に目を向けなければいけなくなる。その中で、「バブルよもう一度」的な経済大国として返り咲くようなことに価値を置いてしまうと、苦しさしかありません。

「この国をどういう国にしていきたいのか」「自分の人生をどういうふうにしていきたいのか」という価値観を捉えなおし、その目的を達成するために何をすべきか、という考え方をしていくことが大事だと思います。



理想に対する落としどころをどうつけるか



--そういう点でいうと、理想論ばかり口にする人がいるなかで、乙武さんは理想に対して現実の落としどころもきちんと見つけられていると思うんです。理想と現実のギャップを埋められるのが上手な方というか。コツはあるのでしょうか。


僕は誰かを批判するつもりはなくて。1ミリも妥協を許さずに理想を唱え続けて結局ものごとを変えられないことと、落としどころを定めて3センチ状況が良くなりましたということの、どちらがいいかというのはそれぞれの美学だと思うんですよね。僕は後者だというだけ。


--落としどころはどうやって決めているんですか?


ギリギリは攻めるけど、相手もギリギリを攻めてくるので、お互いがここまでは譲れるというところを、探っていく作業かなと。

いろんな人がいていいし、役割分担は必要だと思うんです。

どちらかに振り切ったほうがファンは付きやすいから、本を出せば売れるし、テレビにも呼ばれやすいので、僕みたいに真ん中でバランスを図るような人は得をしないんです。でも、損得じゃなくてね、社会をどうしていきたいかということを優先させると、やっぱり真ん中でバランスを取るポジションの人間も必要。


--働き方の件で言うと、乙武さんは学校の教員をされている時に、夕方5時の定時よりも1時間早く退勤したりと、有給休暇をしっかり消化するスタイルだったそうですが、それを控えてくれと言われたそうですね。それが強烈に印象に残っているんです。権利としてはもちろん休む権利とかあるわけじゃないですか。でもその権利を行使できない空気というのがある。そういう時はどうコミュニケーションしていたんですか?


代わりに人がめんどくさがる仕事を率先して受ける、とかですかね。例えば、学年だよりって月1回出さなきゃいけないんですけど、各担任が持ち回りで作るところを毎月僕がやっちゃうとか。


--乙武さんほどの人でも、そういう地道な努力をされてるんですね。


相手も気持ちよく物事を進めないと、絶対どこかで邪魔が入ったり、やりたい形が崩れてきたりしますからね。




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