「百田尚樹」という名前を聞いて、どんなイメージを抱きますか。 「『永遠の0』や『海賊とよばれた男』などの小説を読んで感動した」という人もいるでしょう。一方で「ネットでの過激な発言は許せない」「歴史観には同意できない」と批判的に見る人がいるのも事実です。彼の評価はなぜここまで分かれるのか。また、多くの批判があるのにベストセラーを連発できるのはなぜなのか。 この不思議な「現象」の正体を探ろうと挑んだのが、前半のインタビューで「夜の街」と名指しされた新宿・歌舞伎町の感染症対策に迫ったノンフィクションライターの石戸諭(いしど・さとる)さんです。昨年話題となった「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」に、大幅な加筆をした『ルポ 百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)を刊行しました。5時間半にわたる百田氏への独占インタビューや関係者の証言などから「百田尚樹現象」の本質に迫っています。 さらに、この現象以前の「新しい歴史教科書をつくる会」の系譜を掘り下げることで、90年代後半から現在に至る日本の保守の言論空間の成り立ちを描き出しました。 そんな石戸さんに、笑下村塾たかまつなながこの本の取材裏をたっぷりと伺いました。
■差別的発言を繰り返しても人気が衰えない「百田尚樹現象」の謎
ー石戸さんの新刊『ルポ 百田尚樹現象』を読ませてもらいました。めちゃくちゃ面白かったです。百田尚樹さんって、そもそもどんな人なんですか? 石戸:一言で言うと、平成で一番売れた作家です。500万部くらいの大ベストセラー作家で、『永遠の0』という作品は、岡田准一さん主演で映画にもなって日本アカデミー賞も獲った。首相(対談当時)の安倍晋三さんに一番近い民間人の一人で。しかも、ツイッターでは50万近くのフォロワーがいる。 ツイッターでは中国・韓国に対して差別的な発言を平気で書いています。これには僕も含めて多くの人が批判しているけれども、人気は一向に衰えない。マーケットが維持できている。この現象はいったい何なのかというのが、この本を書いた動機です。
■作品からではなく関係者への取材から“社会現象”として捉える
ーご本人も独占インタビューに応じていましたね。 石戸:本人が応じてくれたことが大きいですね。1回目は3時間ちょっと、2回目は2時間半くらいだから、合計5時間半くらい話して見えてきたことがたくさんあります。 ー百田さんと対立するリベラルな人たちの反応はどうでしたか? 石戸:僕は百田さんの作品を全部読みましたけど、作品を中心に読解しようとしてもこの現象は読み解けないと思いました。そこで、彼の作品ではなく周辺の関係者、例えば、彼を長く支えてきた幻冬舎の見城徹社長や、『月刊Hanada』(飛鳥新社)という右派色の強い雑誌を作っている花田紀凱さんたちを取材することで、一つの社会現象として捉えるというアプローチをとったんですね。こうした取材に対しては、一定の評価をいただいています。
■百田現象を支持しているのは「普通の人」
ー石戸さんは本の中で、差別的なものを支持する人たちを「普通の人」と表現されていました。なぜ「普通の人」が差別発言を支持するんですか? 石戸:すごく不思議じゃないですか。でも街中にちょっと行ってみたら、中国人観光客のマナーが悪いとか、韓国の文在寅政権は反日で腹が立つとか、普通の人たちが中国や韓国の悪口を言っているわけですよ。ヤフーのコメント欄でも中国や韓国に対して批判的なコメントや差別発言に近いものも並んでいます。それを多くの人が見て、さほど問題視せずに「いいね」を押している。 つまり、大部分の人たちの価値観というのは、実はネトウヨ(ネット右翼の略。中国人や韓国人などにヘイトともいえる誹謗中傷を繰り返す人たち)をちょっと薄めたぐらいのものなんです。こうした人たちを僕は「普通の人」としか形容できないと思いました。 右派のイメージが強い百田さんのサイン会には、100人以上のファンが列をなしてサインを待っています。右派と言えば、靖国神社にコスプレして行くとか、街宣車に乗っているみたいなイメージがありますが、列に並ぶ人の中には、親子連れもいるし、税理士や会社員といった人たちもいて、イメージとは全然違うわけです。いたって「普通の人」であり、外見からはイデオロギーの見分けがつきません。 ー百田さんといえば、韓国や中国が嫌いで、朝日新聞が嫌いみたいなところがあって、ネトウヨと親和性が高いと思うんですけど、百田さんの支持層=ネトウヨだとみなすのは違いますか? 石戸:それはちょっと違うと思ったほうがいいと思います。百田さんの著書に『日本国紀』(幻冬舎)という本があって、百田さんが日本史の通史を書くことに対して批判が上がったり、ファクトチェックの甘さや、Wikipediaから取ってきたのではないかという疑いが出てちょっとした騒動になりました。だけど、TSUTAYAのデータを分析してみると面白いことがあって、客は『日本国紀』と一緒に『ファクトフルネス』(日経BP社)を買っていたりする。 ー面白いデータですね。『ファクトフルネス』と言えば、ファクト(事実)を元にちゃんと世の中を見ていきましょうっていう本ですよね(笑)。 石戸:これが意味しているのは、世の中には売れているから買うという人たちがけっこうな数いるということです。必ずしも思想的に右派色が強いから買うという人たちばかりではない。百田さんは、そういった層をつかまえてるから、ある意味すごく強いというのが僕の分析です。
■売れるために政治信条とは違う小説を書けるのが強み
ー百田さんの目的は何なんですか?売れるためにやっているのか、安倍さんに近いから政治的な思惑がある人なのか。とにかく韓国が大嫌いでそれを読者に伝えたいのか。 石戸:その中で言うと、たぶん「売れるため」でしょうね。彼にとって本が売れることは稼ぐと言うこと以上に、自分の存在証明だと思っているところがあると思います。これ自体、僕は全然否定できなくて、本が売れることは大事だし、本を売ることに対してすごく純粋に取り組んでいるっていうのは感じましたね。 意外なことに、彼の小説にはすごくリベラルなことも書いてあるんです。百田さんが最後の小説だと言って出した『夏の騎士』という小説では、差別に対して戦っていこうとか、フェミニズム的な価値観を持ってる女性のキャラクターが出てきたりするんですね。 ーそうなんですか!それは知りませんでした。 石戸:びっくりするじゃないですか。だけど、百田さんの最大の特徴っていうのは、ここなんですよ。つまり小説でそっちのほうがウケがいいと思ったキャラクターっていうのは、自分の政治信条とは関係なくポンと放り込むことができる。そっちのほうが面白い、そっちのほうがウケがいいと思ったら、それをちゃんと取り込むことができちゃうんです。そういう小説を書ける。ここがすごいところです。
■必要なのは歴史を面白く読める物語
ー石戸さんは結局、百田尚樹現象をどう捉えて、何が問題だと考えていますか? 石戸:僕自身は当然、差別的な発言は肯定できないし、政治的な立ち位置でいえば、リベラルなほうですよ。でも百田さんをとにかく批判して、潰せばいいんだみたいな立場でもない。まずは、その現象をきちんと捉えないといけないという立場ですね。きちんと捉えるには、取材が必要だし、データも必要だし、分析も必要です。こういうことをきちんとやらなければならないという立場なので、百田さん個人の言っていることを断罪するための本ではありません。 ーこの現象をきちんと捉えた先に、どんなことを期待しますか? 石戸:もうちょっとマーケットに届くものをきちんと作り直さなきゃいけないと思いました。特に歴史問題って難しいじゃないですか。歴史を伝えるときに安易に分かりやすくしてはいけない、とかファクトが大事だみたいに言われてきました。でも昔で言ったら、例えば、『坂の上の雲』『竜馬がゆく』などで知られる作家の司馬遼太郎さんが、読んだときに面白いと思える物語を誠実に作っていたわけですよね。それに対して、確かにいろんな批判はありました。歴史学的には間違っているとか、ファクトが違うっていう批判もありました。それでも歴史を好きな人たちが、ああいう物語を読んで面白いと感じて、そこから歴史を知っていこうとした意義は大いにあったと思います。僕たちも、もう一回そうしたものに光を当てなきゃいけないという気持ちはあります。
■日本の保守の言論空間はどのようにできたのか
ー『ルポ 百田尚樹現象』の第二部もすごく面白かったです。日本の保守の言論空間がどういうふうに作られたかということが書かれていました。
石戸:いまは「反朝日新聞」みたいな空気が強いですよね。YouTubeなんか、まさにそういう言論空間になっているわけじゃないですか。朝日の言っていることは間違っていて、リベラル系の野党の言うことも全部間違っているみたいなもののウケがいいんです。そのモードはいつからできあがったのかというのを解き明かしたのが第二部です。
ーまず、朝日新聞が権威だと思われていることにびっくりしました。
石戸:権威だとみなさないと、団結できないということですよね。別に何でもいいんですよ。朝日新聞でもNHKでも。NHKをぶっ壊すみたいな人たちだって、一定の勢いを持つわけじゃないですか。どうしてかというと、権威をちゃんと設定して、そこに対抗するためにみんなで立ち向かっていくほうが大きなエネルギーが出るからです。「反マスコミ」もそうですよね。「マスコミはけしからん」みたいなほうが、言葉に勢いがでます。
■自虐史観を批判するグループの台頭
ー「自虐史観」という歴史認識を批判する勢力もそういう流れで出てきたんですか? 石戸:そういうことです。簡単に言うと、「アジア太平洋戦争」って僕は言いますけど、「アジア太平洋戦争」の歴史に対して、「日本人は他国には謝り続けてばかりの自虐的に自分たちを卑下した外交を続けてきた。こういった『自虐史観』はおかしい。日本だっていいことをしたんだ」みたいな考え方の人たちだと思ってください。こうした「自虐史観」を批判するグループが勢いを持ってきた象徴的な出来事が、90年代後半から2000年代にかけて起きた「新しい歴史教科書をつくる会」というグループの登場なんです。
ー石戸さんの本にも書かれていますが、「新しい歴史教科書をつくる会」が、なぜそんなに力を持っていたんですか? 石戸:これは「反権威」という一致点がちゃんとあったからです。まさに社会運動をやっていたわけですよ。今で言うとハッシュタグ「#自虐史観の克服」みたいな感じのものができたと想像してみてください。あの時代にツイッターがあったら、ハッシュタグができて、クラウドファンディングが立ち上がって、お金を集めて、っていうようなものですね。 ー「新しい歴史教科書をつくる会」って、歴史的な事実を修正しようとしているところがやっぱり問題ですよね。 石戸:「新しい歴史教科書をつくる会」の最大の問題は、右派的な歴史観があまりにも強い教科書を作ろうとしたことにつきます。集まったメンバーの主張には「南京大虐殺はなかった」とか、「従軍慰安婦の記述を削除しろ」とかいう定番の主張もやっぱり入っているわけですよ。それ自体、僕は批判すべきだと思っています。 南京大虐殺については、いろいろなロジックを使って、なかったという人たちはたくさんいます。数の問題にすり替えて「大虐殺じゃなくて虐殺だ」とか、そういうことを言うんです。僕は、南京大虐殺という言い方には全然こだわってなくて、本の中では「南京事件」っていう言葉を使ったんだけど、南京事件に関しては、当時から海外メディアでも報道されているし、南京に関しての研究も山ほどあります。何よりも第一次安倍政権時代に作った、日中共同歴史研究というのがあるんだけど、その中でもう結論が出ているんですよ。日中双方の研究者でちゃんと研究しあって、あったということは事実としてそこに記述されている。 僕はこれでもう十分議論は終わっていると思っているし、従軍慰安婦問題にしても、いわゆる河野談話も右派的な歴史観が強い安倍政権であっても否定できなかった。 そう考えると、歴史問題をなかったことにしたり、記述を削ったりすることを求めるというのは問題だと思う。右派なのに日本の歴史に対して向き合っていないというのは、そりゃあ問題でしょうと考えています。 しかし、本にも書きましたが、彼らがなぜ運動に向かっていったのか。そこには彼らなりのストーリーと理由があります。そのこと自体は無下に切り捨てるべきではない。 ーその後、結局中心人物だった人たちが、だんだん離れていきましたよね。 石戸:一致点がそれしかなかったからです。「新しい歴史教科書をつくる会」っていうのは、重要人物は、藤岡信勝さん、小林よしのりさん、西尾幹二さんという3人です。保守系の言論人でインテリの西尾幹二。当時絶大な人気を誇り、常に社会問題の中心にいた小林よしのり。それから、日本の教育にディベートを持ち込んだことで知られる教育研究者の藤岡信勝。この3人に共通する思想的な一致点というのはないんですよ。何もないからこそ、一時的な運動でみんなでガーッと盛り上がっていくことはできるけど、考え方がそれぞれ違うんだから、お互いに我慢できなくなる瞬間がやがて来るわけです。すると、社会運動の必然として瓦解していく。
■人生の巨大な喪失体験が、思想と行動を極端に変えることも…
ーこの本の中で、小林よしのりさんが「百田さんは僕の真似をしているだけだ」と言っていてびっくりしました。 石戸:小林さんってやっぱりすごくピュアな作家です。物書きとして、漫画家としてすごく良い意味で純粋だと思います。だから、なぜ小林さんがここまで「作る会」にのめり込んでいったかというところを考えると、彼がそれまで薬害エイズでやってきたような、左派的な色合いも強かった社会運動に対する幻滅があるんですよ。薬害運動は決着したはずなのに、団体は解散しないでまだ運動を続けようとしていると小林さんには見えた。それはおかしいと言っても、彼が当時一緒にやっていた学生たちは誰も聞く耳を持たなくなってしまった。それで離れていくことにした。そうすると、思想が左から右に極端に変わっていくんですよ。振り子が振れるように右旋回してしまうわけ。 自分の人生は何だったんだろうみたいなところを問い詰めた結果、別の運動にいってしまう。以前の思想が全然違うと言えばそうなんだけど、人生における巨大な喪失体験が行動に影響にしてしまう。 ー理屈だけで見てはいけないですね、そういうのって。 石戸:理屈では見えてこないですよね。自分の大きな間違いに気が付いてしまったようなもので、ぽっかりと穴が空いたような感じになったのではないかと思います。そのときに足場がなくなってしまうので、その穴を何か別のもので埋めなきゃいけないということで、それまでとは違うもので埋めたということでしょうね。 ー私がこの本で一番面白いと思ったのはそこですね。今まで点でしか知らなかったことが、このときこの人はこういうことを考えていたんだというような、人の感情や歴史に寄り添って書かれていて、すごく面白いなと思いました。 石戸:感情の問題ってすごく大事なんです。その人は、そのときに何を感じていたか、どういうふうに見えていたか。そこの主観的な経験の部分をきちんと読み込んでいかないと、なぜその人がこんなに極端なことになっちゃうんだろうということが分かんないんですよね。何も知らない人から見れば極端かもしれないけど、そこには道のりがちゃんとあるんです。彼らは、自分の人生に対してすごく真面目に考えていたという共通点があります。なぜこういうことになったのか、自分は間違っていたのか。そういう問い直しの結果が、左から右への極端な旋回だったり、運動へのコミットメントというところに現れていくというのが取材を通じて見えてきました。
■日本の保守空間の未来
ーこれから日本の保守空間ってどうなっていくと思いますか? 石戸:保守空間と言ってみんな一括りにするんだけど、やっぱり一致点がないんですよ。今後も常に、百田さんみたいな人たちは出てくると思いますが、一致点がないから、いろいろと分裂していくというのはあると思います。「反朝日」、「親安倍」で一致するのが、今のカギカッコ付きの保守言論の中の人たちの基本的なパターンですが、なぜそうなるかというと、細かい話をし始めたらきりがないからです。一つの運動体というか、一つのコミュニティみたいなものだから、コミュニティが信じる物語がちゃんとあることと、敵がいて味方がいるということがあれば、なんとなく同じような感覚でいられるということですね。 ーこの前、「脱ネトウヨ」した作家の古谷経衡さんと対談させてもらったんですけど、ネトウヨがネット空間で活発に発言していることに対して、バカなことを言っているから放置しておけばいいという意見もあるけれど、古谷さんは、間違っていることはきちんと否定していかなければだめだと言ったんです。間違っていることを一つ一つ否定していく地道な作業が大事だって。 石戸:僕はそれ大事だと思う。僕はファクトチェックをしているだけで満足していてはだめだ、という話をここでは書いていますが、ちゃんと間違っていることを伝えることそのものは否定していません。例えば歴史的な事実について、こういう事実がありますとか、ひと目で分かるサイトがあって、それが検索上位にずらっと並んでいればいいですよね。 ーこの流れは大きくなっていくと見ていますか? 石戸:この流れ、つまりふわっとした右派言説が強まり流れは、これからも大きくなっていくと思いますよ。韓国だめだ、中国だめだ、みたいな排外主義的な空気感がいま、フワフワと漂っている。そういう人たちが増えていくイメージですね。彼らがフワフワした空気でいる間はまだ大きな問題にはならないでしょう。でも、それを束ねようとする動き、政治的なエネルギーに変換し、吸収しようとする動きが出てくると怖いなと思います。
■必要なのは、議論を交わらせて分断を埋めること
ー石戸さんとしては、どのように代替案を示そうと考えていますか? 石戸:僕は、ライターが代替案を示すことがそこまで重要なのか、なくてもいいのではないかと思っています。僕の仕事は、取材して事実を集めて、それをきちんと再構成して伝えていくというのが一番大事なところです。具体的にどうすべきか?と意見を求められても、考えていることは本に書いてあります。代替案は別の職業の人たちに任せるところだと思っています。 むしろ大切にしているのは、分断を埋めることですね。意見が極端になればなるほど、お互いに議論ができなくなってしまう。すると社会はすごく不安定になっていく。僕はある程度間に立って、意見が極端にならないように「議論を交わらせる」役割を担っていきたい。僕ができるとするならそこまででしょう。今のように分断が進んでいる社会においては、その分断を埋めていくほうを選ぶということです。 ーありがとうございました。
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