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うたのおにいさんが落ちた〝覚醒剤の沼〟一番の支援は「絶縁」だった

『おかあさんといっしょ』で9代目うたのおにいさんを務めた、杉田あきひろさん。2016年に覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、現在はASK(アルコール薬物問題全国市民協会)認定依存症予防教育アドバイザーとして啓発活動も行っています。現在も薬物依存症と闘う中で、何が杉田さんを支えているのか。YouTube「たかまつななチャンネル」で聞きました。


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「蟻地獄の中で踠き苦しむ様な感覚」

――今日は薬物依存症についてお話をお聞かせいただけたらと思います。まず、杉田さんが覚醒剤を使用したきっかけを教えてください。 初めて使用したのは、20代の頃です。当時の僕は、ミュージカル俳優として活動していて、充実した毎日を過ごしていました。ある日、友達が僕の部屋にきて、何かを取り出し「これ知ってる? 興奮剤でものすごく気分がよくなるから、やってみない?」と言った。うさん臭いとは思いながらも「音楽がキラキラと聴こえる」「依存性はない」という言葉を聞いて、一回やってみてもいいかなと思ってしまったんです。それが覚醒剤だと知ったのは、何年も後のことでした。 ――以降、使用するようになったのですか。 その友人が来たら一緒にやる、という感じでしたね。友人が逮捕されたことで使用は止まりました。その後『うたのおにいさん』に受かってからは、毎日が忙しくて楽しかったので、薬物のことは頭になかった。「卒業できたんだな」と思っていました。 ――でも、また始めてしまった。 うたのおにいさんを2003年の春に卒業し、2005年の年末に、友人とバリ島に行ったんです。バリで道を歩いていたら売人に「お兄さんお兄さん、葉っぱあるよ、エスあるよ」と声をかけられて。そのときに全身の毛穴が開いて、脳からよだれが出るような感覚になりました。使用したときの記憶が一瞬でよみがえるような。そして「ここはバリ島だし、日本ではやらないから、今日だけいいか」と思ってしまった。 なのに日本に帰ってから、自分で売人から薬を買っていました。テレビの警察ドキュメンタリー番組を見て「あそこで薬が買えるんだ」と知り、買いに行ってしまいました。 ――そんなに簡単に手に入ってしまうんですね。先のことや、バレるかもしれないといったことは考えなかったのですか。 覚醒剤を使用してしまうと、覚醒剤を手に入れることが優先順位の1位になってしまう。妙に楽天的でしたし、言い訳や自己正当化が始まっていたのかもしれません。「俺はうまく使えているんだ。俺は大丈夫」って。 ――周りに止めてくれる人は……と言っても、気づかないと止められないですもんね。 周りの人に心配をかけないよう、ちゃんとお仕事もして、ご飯も食べるようにしていましたしね。でも、どんどん孤独になっていくんです。実家との関係も悪くなり、友達も1人、2人と疎遠になって。薬地獄から抜け出せない自分を人には見せたくないし、誰にも打ち明けられないから、人との間に隙間ができていきました。


ダルクから逃げ出し“底”を見た

――逮捕されたときは、どんな心境でしたか? 映画を見ているみたいでした。自分自身を、俯瞰(ふかん)のカメラで眺めているような。逮捕現場ってこんな感じなんだ、って。ただ、心のどこかで「俺、これで薬やめられるかもしれない」と思っていました。 ――判決を受けたあと、保釈後は回復支援施設『ダルク』に入っていますね。 弁護士さんにダルクを勧められ「日本で一番厳しいところへ」と言って、長野ダルクに入りました。実際しんどかったです。雨が降っても雪が降っても氷点下の吹雪の中でも毎朝休まず5〜6キロのランニング。お金も携帯電話も持たせてもらえず、パソコンも使えず、当然外出も一切禁止で、一人で過ごせる時間はトイレとお風呂の時間だけという相部屋生活で(笑)。 でもダルクで農業を始めて、何も知らないところから無農薬のお米や野菜を作って販売するまでになりました。 お日様が出たら起きて、ご飯をつくって、夜になったら寝る。そういう生活を続けていると、人として当たり前のことができるようになったという実感がありました。僕は大学も出て、歌も歌えて、特殊な才能があって成功していると思っていたけれど、何か問題のある人間だったんだな、と。 ――でも1回、脱走したことがあるって聞きました。 そうなんですよ。ダルクに入って丸2年を迎えた日に、性格の合わない入居者の言葉に苛立って「もうここにはいられない」と逃げたんです。ダルク入寮4ヶ月目に他界した母の死に目にも会えず墓参りにも行けてないから、実家に帰ろうと思ったんですが、その前に妹の家に寄ることにしました。そのとき再会した妹が、驚いて目を見開いた。妹の子供も、僕を見て一瞬おびえたような目をした。覚醒剤で逮捕された犯罪者が、ダルクから脱走してきたら、そりゃあびっくりしますよね。 妹のところで一泊させてもらって、翌日実家に帰ろうと思っていたら、実家から兄貴が車を5時間飛ばして、妹の家にやってきました。そして「お前出ていけアホ」「二度とうちの敷居をまたがせない」などと怒鳴られ、荷物を放り出されて朝4時に家から追い出されたんです。妹は大泣きしながら「あき、死んだらあかんで」と毛布とおにぎりを持たせてくれました。 僕は心のどこかで、家族には「よく頑張った」と言ってもらえると思っていたんでしょうね。子どもみたいですけど。それで行くあてがなくなって、ボロボロになって、長野ダルクに電話して頭を下げてまたお世話になりました。本当に申し訳ないことをしてしまった。でも、その経験がきっかけで、入居者の前でこれまで言えなかった自分の内面を、口にできるようになったのかもしれません。 ――なぜ自分のことを話せるようになったんですか? 本当の意味で、底をついた。僕は「ここにいる仲間より回復している」なんて、どこかで考えていたんでしょう。でも実際は脱走するくらいみんなよりも回復していないし、もう実家にも帰れない。ボロボロになったことで、ミーティングに参加しても、これまで気づかなかったことが話せるようになったのかも。 ――やめたいのにやめられない気持ちは、同じ立場でないとなかなか理解できないですもんね。 ダルクにも行けない人はたくさんいると思うんですよ。どうやめていいのかわからない、逮捕されるのを待っているという人は、勇気を出して、どこかの自助グループのミーティングにつながってほしいです。通い続けるのは難しいかもしれない。でも、どこかに仲間がいると思えるだけで、全然違いますから。




うたのおねえさんとの再会

――その後は歌手としてコンサート活動をされていますね。 長野ダルクでリハビリトレーニングをしていた頃に、長野県松川村でコンサートをやらせていただきました。村の職員の丸山さんという方が「あなたが、自分の過去をちゃんと反省した上で、真摯(しんし)に更生したい、回復したいと努力し続けるのであれば、私たちはあなたの背中を押したいです。そういう社会でありたいです」とおっしゃってくださったんです。もちろん反対の声もたくさんありました。 当日は大雪でキャンセルがたくさん出たんですが、当日券で超満員になった。あの日の気持ちは忘れません。コンサートが終わってから、ロビーに行って観客の皆さんにありがとうと伝えようとしたら、皆さんが「歌ってくださってありがとう」って。あの日コンサートを開催させてくださった丸山さん、スタッフの方たちの気持ちには、今も支えられています。 その後「介護施設やデイサービスで歌を歌えば、おじいちゃんおばあちゃんが喜ぶのでは」との助言もあって、介護施設で働き始めました。ただコロナの影響で、長野に住みながら歌と介護の仕事を両立していくことが難しくなってしまい、東京に戻ってきました。歌の仕事や、自分にしかできない講演などをしていきたいと思っています。 ――今は、講演会や歌手としての活動の収入で生活している? やっとコロナが落ち着いてきてコンサートやイベント出演のお仕事依頼を沢山いただけていたのに、最近またオミクロンでキャンセルが増えてしまって……今はバイトと掛け持ちの生活です。でもやはり僕は表現者です。歌や講演のお仕事をたくさんしていきたいと思っていますので、みなさんぜひご連絡ください(笑)。 ――働きたい、と自分から発信するのはとても大切ですよね。 働くことが、自分が「薬をやめ続けている」っていう指標にもなるし。 ――「やめ続けている」という表現をされましたが、やりたいといった誘惑はあるのですか。 ダルクに入って愕然(がくぜん)としたのは、依存症とは完治しない病気だと。でも回復することはできる。回復とは、死ぬまで「今日1日使わなかった」を繰り返していくしかありません、と言われて。えーって。そんな方法しかないの? だったら薬を使ったほうが楽しいんじゃないかとみんな、その瞬間は思うんですけど。でも、社会に戻って活動をしながら、ミーティングで自分の心のうちを話していると「今日は使わなかった」を繰り返していく作業がそんなに苦ではないと思えてくる。仲間と会えるのが楽しいし、仲間と話すのがうれしい。言いっぱなし聞きっぱなしがルールのミーティングですが、仲間は僕の苦しみや葛藤に耳を傾けてくれるし、僕も仲間の経験に深く共感できる。それで気持ちが折れずに済んでいるのかなと思いますね。 ――また薬をやりたいと思う瞬間もあるんですか? 実家の兄貴とはまだ関係が良くないんだけど、先日、久しぶりに腹が立つことがあって。「こんなにイラつくのであれば、薬をやったほうがマシだ」という考えは、正直に言えば、少しだけよぎりました。でもすぐに「腹立ちまぎれに薬をやるのはもったいないから、やらない」と思えた。腹を立ててから1週間以内にミーティングに参加して、話ができたから落ち着いたのかもしれません。遊ぶ場所を知らない土地に引っ越してきたのもよかった。環境を変えるのは、とても大切だと思いますね。 ――今の杉田さんを、昔お仕事でご一緒していた方たちはどうご覧になっているのでしょうか。同時期にうたのおねえさんだった、つのだりょうこさんとも再会されたんですよね? 昨年3月に厚労省主催の依存症に関するイベントがあったのですが、サプライズでりょうこちゃんが来てくれて。僕ね、りょうこちゃんのことを、すごく大切に思っているんです。だから会うのが怖かった。いつかりょうこちゃんに会うときは、こんなシチュエーションでこう謝ろうとか、いろいろ考えていたんだけど。いきなりりょうこちゃんが来て、泣いていて、恥ずかしかったけれど僕も泣いてしまいました。 イベントが終わって楽屋に来てくれて、「また一緒に何かできたらいいですね」と言ってくれたのが、とてもうれしかったです。そして先日、りょうこちゃんのYoutubeチャンネルで一緒に歌わせてもらいました。今もこうしてつながってくれていることのうれしさがあります。りょうこちゃんだけではなくて、以前NHKでお世話になったプロデューサーさんがコンサートに来てくれたこともあって、本当にありがたいです。





「絶縁」という名の支援

――振り返って「こうすれば覚醒剤をやっていなかった」と思うことや、知っておけばよかった情報はありますか? 最初に友達が持ってきたときに、手を出さなければよかった。僕の人生、覚醒剤ですべてを失う、なんて計画ではなかったんです。結婚して、家も建てて、一生歌って、くらいの人生プランでしたけど、気づけばすべてを覚醒剤に投じていた。最初に薬を勧められて、好奇心で手を出してしまった、あの瞬間に、これが覚醒剤だとわかっていたら、やっていなかった。ノーと言える自分さえ持っていたら、こんなにマイナスの状況から人生をもう一度始めることはなかったと思います。 ――薬物報道についてはどのように思われますか。ご自身もたくさん報道されたと思いますが。 もちろん法を犯している人が報道され、後ろ指を指されてしまうのは、仕方のないことだと思います。ただ、以前出演した番組の中には、台本上はきちんと依存症の話をする予定だったのが、本番が始まってみたら、司会者が僕を一方的に糾弾するだけの流れになってしまったこともありました。 一方で、依存症の問題をきちんと取り上げた上で、再起を応援してくれるような番組もあります。たとえば情報番組『ノンストップ!』では以前、ダルクでの回復プログラムに密着してくださったのですが、その時のスタジオでのコメントや、報道の姿勢が温かくて、救われました。もちろん、さまざまな意見があって当然だし、視聴者の方は報道を見て「また捕まっちゃったよ」とか「やっていると思ったんだよね」と反応してくださっていいと思うんです。ただ、回復するんだと頑張っている仲間はいるので、真摯(しんし)にやめ続けようと努力している人たちのことは、温かい目で見ていただけたらうれしいです。


――最後に、依存症で苦しむ方や、周りのご家族の方にメッセージをいただけますか? 依存症は家族を巻き込む病気です。僕もいまだに家族を苦しめています。ご家族の方は依存症で苦しんでいる人を前にして、過保護になってしまうこともあるかもしれません。 今日、家族の話もしましたが、僕が家族にしてもらって一番ありがたかったのは、縁を切られたことです。心のどこかで頼る気持ちがあった僕も「自分で頑張っていくしかない」と思い知った。その結果、今、仲間もできて頑張れている。関係を断つという支援の仕方もあると僕は思います。 そして、当事者の方もご家族の方も、やめたいという気持ちがあるのならば、自助グループのミーティングに参加して、同じ依存症で苦しんでいる人たちがこんなにたくさんいるんだと知ってほしいです。依存症って、ひとりではどうしようもできません。俺は意志が強いから大丈夫、金があるから大丈夫なんて思っている人たちもいるだろうけど、人の気持ちなんていくらでも変わるし、金はあっという間に消える。 僕が経験したように、底まで落ちて、生きていくのがしんどくて、でも頑張らなきゃいけないときに支えてくれるのは、仲間です。仲間がいるからこそ回復できる。依存症の方にも、ご家族の方にも、それぞれ仲間が必要だって僕は思っています。 ――ありがとうございます。ひとりで悩まずに、自助グループや病院など、相談窓口を利用していただければと思います。杉田さん、ありがとうございました。 (取材:たかまつなな、編集協力:塚田智恵美、監修:公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会・田中紀子)



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